発祥の地bannar
紅赤の発祥地
 [べにあかはっしょうち] 


場所
埼玉県さいたま市浦和区北浦和3丁目
コメント
JR京浜東北線 北浦和駅の北 約300m。廓信寺という浄土宗の寺がある。 通りに面した 廓信寺の門前, 標石の隣に 浦和市(当時)教育委員会等が建てた 碑(功績案内板)が建っている。

サツマイモは 江戸時代に鹿児島に伝えられ, 飢饉対策の「救荒食物」として 全国で広く栽培されるようになった。 「甘藷先生」と呼ばれた蘭学者・青木昆陽が広めた品種は 「八房(はちふさ)」という 在来種だったが, 1898(明治31)年に 突然変異により 新品種が発見された。
鮮やかな紅色の表皮と まっ黄な肉質の「紅赤」で 「金時」とも呼ばれた。
その後の経緯は 下記の碑文に書かれた通りであるが, 現在でも わが国のサツマイモ栽培面積の約4%が 紅赤であるという。

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撮影日
2005年1月
碑文(1)
サツマイモの女王
 紅赤の発祥地

 江戸時代以来, 関東でサツマイモといえば川越で, 「アカヅル」, 「アオ ヅル」といういい品種を持っていた。
 ところが明治31年(1898)秋, 浦和市北浦和(当時の木崎村針 ヶ谷)で, それ以上のいもが発見された。
 発見者はここの農家の主婦, 山田いち(1863〜1938)だった。 いちは皮が薄紅色の「八つ房」を作っていた。それを掘っていると皮の紅 色がびっくりするほど濃く, あざやかで美しいいもがでてきた。八つ房が 突然変異したもので, 形も味もすばらしかったため大評判になった。
 いちの家の近くに, いちの甥で篤農家の吉岡三喜蔵(1885〜1938) がいた。この新しいいもに惚れ込み, 「紅赤」と命名, それを広める ことを使命とし, 懸命に働いた。
 そのため紅赤(俗称, 金時)はたちまち関東一円に普及, 「サツマイモ の女王」とうたわれるようになった。川越いももむろん紅赤になり, その 名声はますます上った。
 昭和6年(1931), 山田いちは財団法人, 富民協会から「富民賞」 を贈られた。それはわが国の農業の発展に貢献した人に贈られるもので, 農業関係では最高の賞だった。
 今年, 平成10年(1998)は紅赤発見から100年になる。さしもの紅赤 も最近は新興の「ベニアズマ」に押されて振わなくなったが, このいもほ ど寿命の長かったものはない。そこで山田, 吉岡両家の菩提寺で, 紅赤発 祥の地にある廓信寺の一角に, この功績案内板を設置することになった。
  平成10(1998)年9月吉日
              川越サツマイモ商品振興会
              川越いも友の会
              浦和市教育委員会
              廓信寺


 
紅赤の発祥地碑 廓信寺
紅赤の発祥地 碑
廓信寺

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