99.11.10 流れ橋 のコメントページを追加しました |
「流れ橋」と呼ばれる橋がある。
川が増水した時に 橋が橋脚から浮き上がり 下流に流される構造に作られた
木造の橋である。
しかし 本当に流されてしまっては困るから, ワイヤーロープで
つなぎ止めておいて, 洪水がおさまったら ワイヤーを引き寄せて
また橋を修復する。
昔は技術がなかったから よく洪水で橋が流された。
増水しやすい大きな川では, 流された橋を修復するのは 経済的にも 期間的にも
相当大変だったのだろう。そこで 最初から 流されてもいいように
橋を作っておいた。
そんな橋が 現代にも残されている。小規模なものは 日本中あちこちに あるようだが, 知られているものは 岡山県を始め 西日本に多いようで, その中で最大の流れ橋は 京都府にある。
JRで 京都から大阪に向かうと 山崎という駅がある。
ここはちょうど
桂川と宇治川と木津川が一緒になって,
ここから淀川として大阪に流れていく合流点だが,
そんな説明よりも,
織田信長が本能寺の変で死んだあと, 羽柴秀吉と明智光秀が勝敗を決した
「天王山」のふもと, と言った方がわかりやすいだろう。
この山崎の対岸は 京都府八幡市。目の前の男山の頂上は“石清水八幡宮”である。
3つの川の合流点から 木津川を 7〜8キロほど逆上ったところに
日本で一番大きな流れ橋「上津屋橋」(こうづやばし)がある。
このあたりの木津川は 川幅が数百メートルで, 土手から川を見下ろすと
とても大きな川である。
遠くから眺めると, 欄干もない なんとも危なっかしい木の橋が
川を横切っているのが見える。工事用の仮橋のようにも見える。
橋のたもとに「流れ橋」の標識が立っていた。驚いたことに,
この橋は 自動車は通れないが, 京都府道の一部になっているそうだ。
橋名 : 府道 八幡城陽線 上津屋橋(通称 流れ橋) 歩行者・二輪車専用 橋長 : 356メートル 幅 : 3.3メートル 建設 : 1951(昭和26)年 渡し船の代りに作られた。 歩行者・二輪車専用橋 構造 : 木造。橋には欄干がない。 8分割された橋床が ワイヤロープで連結されている。
橋は 幅3メートル余。 手すりのない ただの板が伸びているようなもので, そこを 歩行者だけでなく, 自転車や小型のバイクがゆっくり通っていく。 見ていると, 何かの拍子に川に飛び込んでしまうのではないかと 心配になる。 事実 自分で歩いて渡ってみると, 数メートル下の 結構水量のある水面が迫ってきて 足がすくむ。
普段は「あまり多くない交通量」があるそうだが, 私が行った時(昨年9月の週末) には 多数の観光客が集まっていた。地域住民のための実用の橋 というよりも, 歴史的な保存施設という位置づけになっているように思われる。
写真に見えるように, 橋の両脇の床面の位置に 鉄のリングを通して
ワイヤーロープが通してあるが,
このロープが「いざ」という時の 文字通り「頼みの綱」となる。
現在の橋は 1997年の秋に流されて, 1998年の春に修復されたばかり と聞いていたので,
真新しい橋を予想してきたのだが, 使い古された木材で
ワイヤーロープも赤さびているので ちょっとびっくりする。
(もう これまでに 15回も流され, その都度修復してきたのだという。)
普通 大きな川に架かる橋は, 土手を乗り越える高さになっているものだが,
この橋は 土手を一旦河川敷に降りたところが起点になっている。
つまり 川が増水すると この橋は水面より下になってしまう。
増水時に水面下に沈んでしまう橋は“もぐり橋”とか“沈下橋”とか呼ばれて
あちこちにあるのだが(有名なのは 四万十川の“潜水橋”),
この橋は 水面下になった時に 橋の本体(橋床)と橋脚が離れて,
バラバラになって下流に流れてしまう。
橋床は 約40mごとに 8つのブロックに分かれ, 両側2本のワイヤーロープで
相互に連結されている。したがって 本当に流されてなくなってしまうわけではなく,
連結された八幡市側の橋脚<写真>から ぶら下がった形で, 下流に向かって
イカダ状に浮いていることになる。
(実際に洪水で流された時の写真が
「小さな橋の博物館」に掲載されている。)
当然 水が引いたら ワイヤーを引き戻して, 橋を復旧することになる。 復旧工事は毎回 6〜10ヵ月かかるという。 その手間や費用を考えれば 恒久的な橋を架ければいいのだろうが, あえて古いまま修復を続ける京都府の イキなはからいには敬服する。
橋を渡り切ったところの河原で, 時代劇のロケーション撮影が行われていた。 駕籠が置かれて 周囲にチョンマゲ姿の役者がうろうろしている。
ここは 各映画会社の京都の撮影所から近く, 橋が古びていて 欄干などの飾りがなく,
また土手に囲まれて周囲の建物がほとんど見えず
自然のままの環境が保たれているため, よく時代劇の撮影が行われるそうだ。
いままでに 100回を超えるロケが行われたという。
アメリカ映画の「アシヤからの飛行」(1964年)にも この場所が登場したとか。