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【多摩川の渡し】へのコメント      [2003-2-23]


『多摩川の渡し』にいただいたコメントから 一部を紹介させていただきます。
  (長い文章は 適当に短くするなど, 勝手に編集させてもらいました。)

【 Fさんから 】
恥ずかしながら、多摩川の渡しとは思いつきませんでした。 戦後まで使われていたなんて またびっくりです。
狛江水害で 家が流される様子が テレビでスローモーションのように はっきりと放送されたことが思い出されます。 山田太一のホームドラマ 岸辺のアルバム で家が流されるシーンがありました。

【 Mさんから 】
多摩川の渡しがこんなにあったとは知りませんでした。
私の奥さんの実家(世田谷区奥沢)のおばあちゃん(93歳で今も健在)が 昭和の初め(昭和5年ごろ)に 武蔵小杉の農家から 奥沢の農家に 「丸子の渡し」で船に乗ってお嫁に来たと話していました。
また、当時は多摩川の水も綺麗で、よく家族で水遊びに出かけたようでした。 みんなの憩いの場のようでした。

【 Sさんから 】
多摩川は学生時代授業を抜け出し、友人達とボート遊びをした川・・・ 懐かしく思い出しました。
馴染みの川ですのに“渡し”についての知識がなく、今回興味深くよみました。
現在 観光ではなく生活上の交通手段として“渡し”=「船頭さん」は 存在しているのでしょうか? 無いとしたら、何時終わったのでしょうね。

去年トルコに行きました折、ボスフォラス海峡をアジアサイトから、 ヨーロッパサイトへ船で渡りました。壮大な“渡し”を体験しました。


【 Oさんから 】
「流石の調査能力」と感服。
渡しそのものは廃止されても、「渡し碑」として残っているといいですね。
浦賀港の渡し船, まだ しっかり現役です。

多摩川には 2つの 現役の渡し がありますが, いずれも「生活上の交通手段」とは いいにくいものですね。 日本中探すと, まだ 何ヶ所かに 渡しが 生活の中で生きているところがあるようです。

浦賀の渡し 渡し と言っても いろいろあって, 特に海上交通の手段としては 現代でも まだかなり 渡し船が利用されています。 海の場合 橋を作るのは容易ではないし, 他に交通手段がないためでしょう。
海上の渡しの例としては, 神奈川県では 「浦賀の渡し」があります。

三浦半島の 東京湾側の先端にある浦賀港は, 幅200mほどなのに 奥行が 1.5kmもある 川のように細長い湾で, 周辺に住む人が対岸に行こうとすると, 徒歩で20分以上もかかるため, 120年前から渡し船があったといいます。
数日前に 浦賀まで行ってみました。定員10〜15人ぐらいの かわいい船で, 乗客が一人でもいれば すぐに船を出してくれるので, 非常に頻繁に往復しています。 船に乗ると ほんの2〜3分で対岸についてしまうので, 観光気分を楽しむ余裕などありません。 (詳しくは“渡し碑コレクション”)

【 Sさんから 】
はまだより、毎回楽しく読ませて戴いております。
稲田堤の「菅の渡し」は、昭和38年から数年 住んだ所に近く、よく行きました。 花火見物とか京王百花園などに行った記憶がよみがえりました。

【 Uさんから 】
私の住まいが稲田堤で、多摩川には今でも 競輪の開催時には 稲田堤と京王多摩川を 渡し舟が運行しています。さすがに、利用者は少なくいつまでつづくかという状況ですが。
小川さんが、ここまで来られたのを知りメールしました。

“競輪場の渡し”は 利用者が少ないですか。廃止される可能性があるから, 見るなら今のうちですね。
【 Mさんから 】
"多摩川の渡し"楽しく読ませていただきました。

ずいぶんたくさん渡しがあって、しかも、明治になるまで橋が 無かったとは思いもよりませんでした。驚き。川幅が広いと 技術的にと経済的に、困難だったんですね。

最近の愛読書、某全集で、「生麦村を落のびて、新田の方へと 志し、矢口の渡に差しかゝり」、とありまして、「矢口」だけは おなじみでした。これ、福内鬼外こと平賀源内の浄瑠璃 「神霊矢口渡」です。

以前、旧名「多摩川園」(田園調布三丁目)に住んでいましたので、 東急のゴルフ場の渡し舟はよく見てました。上流にもう一つ 残っていたんですね。機会があったら見に行ってみます。

また、川を「全部」歩いてみたいと思っています。水源地から 河口まで、景色や周辺の人々の暮らしを見ながら歩くという ものです。10年ぐらい前に、境川を歩いてみました。結構、 いろんな「発見」があります。機会があれば多摩川もと思って、 まだ実行できていません。さて、いつになるやら。


【 Sさんから 】
東急ゴルフは20年前に行ったことがありましたが、渡しがあるとは・・・・・
川崎側なので使わないのですが、今度東京側から乗ってみようかと思います。

【 Tさんから 】
矢切の渡しに続いてまたまた懐かしい渡し「等々力の渡し」がでてきましたネ。
私は、会社に入って数年間、川崎市の寮にいました。等々力は対岸です。 当時からゴルフ場がありましたが、渡し船でなく、 船橋(船を何艘もつなげて橋にしたもの)が掛かっており、 対岸からのゴルファーが利用していました。
ゴルフ場が終業後は一般の人も無断で渡っていました。

ところで何を隠そう、私の妻は対岸の等々力渓谷の傍に住んでおりましたので、 結婚前はデート後、多摩川に出て、よくこの橋を活用して寮に戻っておりました。
ある時、デート後、いつものように土手に出て見ると「無い!」 船橋は無残にも分断され、残骸があるのみでした。 多分、台風により流出してしまったのでしょう。 終電もとっくに終わり、タクシーに乗る金もなく、止む無く、遠くに霞んで見える、 上流の二子玉川橋まで歩き、寮に帰ったのを思い出しました。2時間近くかかって・・・・。 35、6年前のことです。
その後、船橋は、修復されては、流されるということがしばらく続きましたが、 金がかかる(?)ので、今の形になったのでしょう。

そういえば、先日、久しぶりに矢切の渡しに妻と乗りました。 船も「新」矢切丸となり、約5分の渡し賃が100円になってました。 随分と混んでいるのにも驚きました。


【 Mさんから 】
東京には、大きな川がたくさんあるんですね。 千葉在住の知り合いは、関西から来客があると、 必ず矢切の渡しに連れて行くって言ってました。
今回は、ゴルフ場と競馬場専用の渡し舟っていうのが、新鮮でした。 渡し舟と、なんとなくミスマッチ・・・。ゴルフという感じと、舟の質素な感じとか、 競馬のセカセカした感じと、舟で行くというノンビリした感じ。 それぞれの碑が、バラバラなのも面白いですねー。
管轄の問題なんでしょうが、差が激しいですね。

【 Fさんから 】
多摩川の渡しを興味深く読ませていただきました。
私は、吉野川・四国三郎の中流のほとりで育ったのですが、 大学に通学するのに渡し舟を利用していました。随分昔の話です。 今は、立派な橋が架かっています。

通学するのに渡し舟を使った というのは 珍しい経験をなさってますね。
たまに観光気分で乗る船はいいのですが, 毎日のことになると 天気の悪い日もあるでしょうし, 大変だったろうと想像します。
【 Kさんから 】
沢山の渡しを訪ねられ その熱意には唯唯感服です。
私の住んでいる所は 多摩川から河岸段丘で三段上がったところで 当地では一番高い所です。井戸を掘っても水がでなかったと聞いています。
多摩川まで徒歩30分程です。堤防を歩いていると色々な発見が有ります。 水量の少ない時は飛び石つたいに向こう岸に渡れる所も有り これは徒歩渡りとでも言いましょうか.
歩きながらもし地震、天変地異等が生じたら, 奥多摩湖が決壊して 河岸段丘一段目くらいまで水没するのではと 思わず首をすくめて上流を見上げてしまいます。

「渡し」の碑にも色々有りますね。 「菅の渡し」の自然石も良いのですが 欠けたような石に見えてしまいます。 遭難の碑のようで もうすこしふっくりとした自然石だと安定感が有って 川辺の碑らしくて良いと思うのですが。
それに比べると「日野の渡し」の碑は いかにも舟に揺られてゆっくりと川を渡る イメージがでていてなかなか良い彫刻だと思います。誰の作品なのでしょう。


【 Gさんから 】
多摩川の渡しを拝見しました、これだけの資料を集められるには 大変な労苦だっと思い 感謝しています。
昭和10年ごろ 二子多摩川近辺で 口の不自由な小父さんに「はや」の釣り方の 伝授を受けたことがあり 二子の渡しと言う言葉がなんとも懐かしく感じました。
石碑にもいろいろ特徴があり 作るときの人々や背景など想像しています。

房総の花々の綺麗な写真を繰り返し見て 心の癒しを受けています。


毎月のカレンダーをご利用いただき ありがとうございます。
2月の "ボケ" は 16日の日付が抜けていて, 全部で27日しかないカレンダーになって いました。指摘を受けて すぐに修正しましたが, お叱りをいただきました。 大変失礼しました。原始的な手作業でやっているのが バレバレです。


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