2001.8.26
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鬼子母神

[2001-8-12]



入谷の朝顔市

7月7日 たなばたの日。入谷の朝顔市に行ってみた。
朝顔は 別名「牽牛花」とも呼ばれるが, そのため 七夕をはさんで 朝顔市 (地元では“朝顔祭”と呼ぶ) が開かれるようになったという。

入谷はもともと低湿地で, 江戸時代から たんぼが多く“入谷田圃”と 言われていた。
明治の中頃から 朝顔栽培が盛んになり, 朝顔市が行われる ようになった。その後 町が発展するにつれ中断状態になっていたが, 戦後 昭和23年ごろから 朝顔祭として 現在の形が定着したという。

朝顔市は 日本中あちらこちらで開かれているようだが, 入谷が一番歴史があり 規模も大きいという。
入谷の朝顔市は 毎年7月6日〜8日の3日間開かれ, 今年は 120あまりの店が出て 3日間で45万人の人出があったとか。
朝顔の売れ行き予想は 24万鉢だったから, 2人で1鉢を買った計算になる。
朝顔の他に たこ焼きやワタアメなどの露店もたくさん出ていて, 朝から晩まで大変な賑わい。


朝顔市の場所は 東京は台東区入谷(いりや)の鬼子母神。
地下鉄の 入谷駅で降り 地上に出ると, そこは昭和通りと言問通りの交差点。 言問通りを挟んで向かい側が 鬼子母神。
なにしろ今年は異常なほどの暑さ。昼近くの道路は 照り返しで 猛烈な暑さ。 鬼子母神の前は歩行者天国にはなっているが 相当な混雑で. 人混みをかきわけるだけで汗が流れる。

ほおずき市と違って, 朝顔市は 朝一番に来ないと 咲いている花にはお目にかかれない。
わずかに一輪だけ咲いていたのが 上の写真である。
解説によると, 花はどうせ昼間までは咲いていないから, ツルや根っこの 丈夫そうなものを選ぶのがコツだとか。
ほとんど 徹夜状態で3日間 店が出ているので,花を見て買いたい人は 早朝に 行くのがいい。

鬼子母神の周辺の路上に ビッシリと朝顔の露店が並ぶ。しかし その地域は 意外なほど狭い。
朝顔の値段は 普通の“あんどん作り”(6号鉢)で 2,000円が協定価格で, 安売りは全く見られない。値切る余地がないので, その意味での面白味は全くない。

一人で2つも3つも鉢を買っている人がいる。どうやって持ち帰るのかと 心配していたら, 片隅に 宅配便の出張所が出ていて, 全国どこへでも 700円で配送を受け付けていた。
なるほど 翌日には配達されるのだから 植物でも心配なく送ることができる。ナットク。

朝顔の露店 朝顔 定価表 宅配便受付
朝顔の露店 朝顔 定価表 宅配受付

「入谷の鬼子母神」というのは 実は“眞源寺”という 法華宗のお寺である。
あまり広くない・・・というより かなり狭い境内は, 参詣の人で イモを洗うような混雑。
本堂の前は 大勢の人が線香を焚くため もうもうと煙が立ち込め ゼンソクの発作が起きそうだ。

この寺は 朝顔市の中心地になっているので, 当然のことながら 朝顔の鉢や 朝顔の形のお守り, その他 風鈴・きびだんご など いろいろなみやげ品が売られている。
朝顔のお守りは 朝顔のついたかんざし(?)に 身体健全の御守がはさんで ある。紙でできていて ピンク・紫・水色の3色が それぞれ 800円。
これを買うと 売店の巫女さんや坊さんが 火打ち石を カチカチッと叩いて, 大声で "ナムミョウホンレンゲキョウ ダイチ!" と唱えてくれる。 このオマジナイのような言葉は どういう意味なのか聞いてみると, 「第一番のご利益が得られるように」という意味とのこと。なるほど。

本堂前。線香の煙がもうもう 朝顔のお守り 火打ち石を叩く
本堂前。線香の煙がもうもうと漂う 朝顔のお守り お守りが売れると 火打ち石を叩く


眞源寺 (入谷の鬼子母神)    【⇒ 地図 : 入谷・鬼子母神

眞源寺の門標 前置きが長くなってしまったが, 今回のテーマは“鬼子母神”。
鬼子母神は「神」という字があるため 神社と間違われることが よくあるそうだが, れっきとした寺である。 東京には 豊島区雑司ヵ谷と 台東区入谷の 2ヶ所の鬼子母神が有名だが, いずれも 日蓮門下のお寺である。(前者は日蓮宗, 後者は法華宗)

「恐れいりやの鬼子母神」という言葉がある。 「恐れ入りました」というの表す 江戸っ子の好んで使ったシャレ言葉のようだが, これは 入谷鬼子母神からきている。
もとは 江戸時代後期の狂歌・洒落本作家の 太田蜀山人の狂歌で, 「恐れ入谷の鬼子母神, どうで有馬の水天宮 ・・・」と続く。
そんな言葉が流行るほど, 入谷鬼子母神は 霊験あらたかだとして 江戸時代から広く知られていたものらしい。

ちなみに 太田蜀山人は, 日本で初めてコーヒーを飲んで書物に書き残している。 『カウヒイというものを飲んだが, 焦げ臭くてまずかった』そうである。

眞源寺は 今から 300数十年前に創建された寺で, 日蓮上人の像と共に 鬼子母尊像の小さなが祀られている。

“鬼子母神”というのは, 古代インドの神話に出てくる夜叉(鬼女)で, その名を「ハーリティ」といい 訶利帝母(かりていも)などとも書かれる。 これについて 次のような 話が伝えられている。

法華経に「鬼子母神は 法華経の行者や信者を守護する」と説かれているため, 日蓮門下の宗派では鬼子母神を祀っており, 他の宗派と異なる 独特の祈祷本尊として 広く信仰されてている。
このような背景から, 鬼子母神を祀っている寺は 原則として 日蓮門下の寺に限られているようである。

眞源寺のざくろの木
眞源寺のざくろの木
(おみくじが結ばれている)
それにしても“人の子を食べていた”という話は グロテスクである。
この話に関連して ザクロの実についても 同様の話がある。

子供を食べる鬼子母神を諭した お釈迦様は, 石榴(ざくろ)の実を 鬼子母神に渡し, 「ざくろの実は人間の肉の味がするというから, この先 子供を食べたくなったら ざくろの実を食べて, 自分の子供がいなくなった時の苦しみ・悲しみを思い出すように」と言った。
しかし, ザクロについては もう一つ次のような説明があり, こちらの方が 素直に受け入れることができる。
ざくろの実は 一つの実の中に たくさんの小さな実が隠れており, その一つずつが それぞれに小さな種を持っている。
このことから, 古くから ざくろは子孫繁栄をあらわす 縁起のよい果物とされている。
鬼子母神像は, 右の手にザクロを持ち ふところに子供を抱いた姿が 多いとされている。
また このような伝承から 日蓮門下の寺には 境内にザクロの木が 植えられていることが多いようである。


法明寺 (雑司ケ谷の鬼子母神)

   【⇒ 地図 : 雑司ケ谷・鬼子母神


「鬼子母神」を「キシボジン」と呼ぶ人が少なくない。
本当は「キシモジン」と読むのが正しいのだが, このように呼ばれる原因の一つは 東京に唯一残った都電 荒川線の停留所 「鬼子母神前」が「きしぼじんまえ」と表示しているせいかもしれない。

雑司ケ谷・鬼子母神は, 都電の停留所から北に 300メートルほどの 所にあるが, 途中の参道は 樹齢400年を超える 大ケヤキ並木の通りになっている。

“鬼子母神大門けやき並木”と呼ばれ, 昭和初期には樹齢400年の大けやきが 18本残っていたそうだが 現在は4本を残すのみとなっていて, 東京都の天然記念物に指定されている。
広くない通りに面している民家を圧倒するようにそびえる 400年のけやきの幹は 大変迫力がある。


法明寺の 鬼子母神堂(本堂)は, 江戸時代中期に 建てられたもので, 戦災も受けず 数百年前の姿を残している。
建物の造りは なんとなく神社の拝殿を連想させるが, 実際 建物の前に立つ 教育委員会の説明文にも

・・・拝殿と幣殿(相の間)は元禄13年(1700)に建立されたことが, 昭和51年に おこなわれた昭和大修理において発見された墨書や銘文によって確認 されている。・・・

などと書かれていて, すっかり神社扱いである。
おそらくは 神仏混淆時代の名残なのかと想像されるが, 見ている方も ここが寺なのか神社なのか 混乱させられる。

ところで, 鬼子母神堂の正面に掲げられた扁額には, 写真のように 「」の頭に ツノ のない文字が使われている。
これは 上に書いたような事情で, 子育ての神として生まれ変わった鬼子母神は もう鬼ではない ということで, ツノを取った文字を使うようになった という。 これも 江戸っ子の洒落なのだろうか。
パソコンのフォントにない文字を使われても 表現することができないので, ここでは ツノのある「鬼」の字を使わせてもらった。


余談だが, この寺では 毎年10月に「御会式」があって, 「万灯練供養」の行事が行われるという。
以前 関西の寺で「練供養」 の儀式を見たことを思い出す。 できれば 秋にもう一度ここに来て, 東京の練供養を見てみたいものである。
 


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