2001.6.21
「ぐすく」のコメントページを追加しました
コメントを見る

ぐすく(城)

[2001-6-6]


沖縄復帰25周年記念切手 沖縄には「ぐすく」と呼ばれる琉球時代の 城 が, 沖縄本島を中心に 300余もある。
しかし 沖縄の城は, 日本本土の城とは かなり趣が異なる。 多くの場合宗教的性格が強かったようで, いわゆる天守閣や櫓などは存在しない。 建て直され首里城を除き, 石積みの城壁だけが残っているだけだ。

昨年12月, 沖縄各地のいくつかの城跡とその周辺の歴史的遺構が 「琉球王国のぐすく及び関連遺産群」として 世界遺産に登録された。 この世界遺産を 一度自分の目で見たいものだと思っていたが, ようやく 先月 初めての沖縄に行くことができた。

来年は沖縄の本土復帰30周年目にあたるそうだが, そのせいか 新聞やTVで沖縄を見る機会が多くなり, 注目されることが多くなった。
おまけに NHKの朝ドラマ“ちゅらさん”が始まって, 沖縄の雰囲気が日本中に伝わってきた様子。
ちなみに“こはぐら(古波蔵)”という姓は ドラマ創作なのかと思っていたら, 沖縄には こういう地名もあるし 名前としても 珍しい苗字ではないことを知った。

沖縄で興味深いところはいろいろあったが, やはり最も印象に残ったのが 城跡 だった。
沖縄の歴史遺産の特徴は 一言で言えば 『石壁の文化』。 沖縄の城は, 日本の歴史で言えば 室町時代かそれ以前に造られたもので, その関連施設を含めて 石が多用されている。 どこへ行っても 石壁がそそり立ち 見事さに圧倒される。




守礼門
首里城

首里城の地図)


沖縄を訪れた人が 必ず行くのが 首里城と言われる。

首里城公園に行くと 最初に目に入るのが 赤い中国風の守礼門。 この門は 2000円札のデザインに取り入れられて 一躍有名になった。
一見, 中国の寺院に見られる 極彩色の建物を思い出すが, あのケバケバしさはない。漆の朱色と 沖縄独特の 屋根の“赤瓦”が 美しい。

守礼門をくぐってすぐに 白い城壁がそびえていて, この山の上に 首里城正殿がある。
この白い石は, 琉球石灰岩といって サンゴや貝殻などの生物の死骸が堆積して できた岩石で, 沖縄の島の1/3はこの石でできているそうだ。
表面はザラザラで “多孔質”というのか 小さな穴が開いている。 手でなでていると怪我をしそうな硬さだが, 案外もろいようで 削ったり加工するのは容易なのだろう。

石灰岩でできた城壁というのを 日本本土では他に見た記憶がない。 真新しいこともあって 非常に立派で 安定感があり, 美しく感じる。
石灰岩という岩石は 一般に 酸に弱いはずで, 耐久性という意味で 大丈夫なのだろうか と ふと気にかかった。 鍾乳洞は 石灰岩が炭酸ガスを含んだ水に溶けるために出来たはず。 雨ざらしの城壁に使っても大丈夫なのだろうか。

首里城の城壁の石積みは“切込みハギ”と呼ばれる積み方に近い手法が用いられており, 正確に四角形に切り出された石材を精密に積み上げている。 加工しやすい琉球石灰岩だからこそ採られた手法なのだろう。

首里城は 第2次世界大戦中に, 日本軍の要塞が構築されたため, “沖縄戦”で米軍の砲撃の目標となり 壊滅的な被害を受け, 城壁の一部を除き 完全に姿を失った。
戦後 城壁やいくつかの「門」が復元され, 中心となる首里城正殿が再建されたのは ごく最近の 1989年のことである。
現在見られる城壁や建物が 真新しく美しいのは 最近復元されたためである。 ちなみに, 新しく復元された部分は 世界遺産の対象になっておらず, 建物の基礎部分と 一部に残された城壁の古い部分に対して 世界遺産の 指定がなされたと聞く。

首里城は「城」というイメージのゴツゴツした いかつさ はない。 とちらかと言えば, 神社のような 厳粛な雰囲気が感じられる。
高い石垣は 全体に曲線的に造られており, かどの上部が とがって 角(つの)のような形になっている[写真]のが 興味深い。

首里城・瑞泉門 城壁のかどは尖ってツノ状になっている


今帰仁城

今帰仁城の地図)


沖縄本島の北部 本部(もとぶ)半島, 海洋博公園の近くに「今帰仁(なきじん)城跡」が ある。
ここは 13世紀ごろ, 琉球王朝ができる前に この地方を支配していた豪族の城として 造られたと言われる 非常に古い城で, 首里城と並ぶ沖縄の代表的な城跡である。

入口に 石の鳥居が建っている。この いかにも日本的な鳥居は 沖縄の城跡とは どう考えても不釣り合いである。沖縄の歴史に 神社の鳥居を建てるという習慣が あったのかどうか 専門家に聞かないとわからないが, どうも これは明治以降になって 日本軍あたりが 強制的に押しつけた ものではないか と想像される。

小さな石の門をくぐり 緩い石畳を登っていくと, 山の頂上に達する。 ここが城の中心部だが 建物などはなく, 礎石の一部が残っているだけである。
ここから 四方が眺められる。意外に近くに青い海が広がっている。 眼の下には深い森が繁り, 裏側は深い谷。その間を縫って 白い城壁がうねる。

石の壁は, 山の起伏に沿って ゆるやかに上下しながら 曲線を描いて 延々と延びている。 その長さは 1.5キロにもおよぶと言われる。 高いところで およそ 10メートルぐらいあるだろうか。 上部には 2〜3メートル幅の通路があって, 上からながめると 全体の形は 中国の万里の長城を思わせる。

ここの石垣は 首里城と少し様子が違って, 自然石を多少整形して積み上げる “打ち込みハギ”に近い方法が用いられているようだ。

それにしても, 日本の城に石垣が登場するのは, だいたい戦国時代 つまり15世紀のころ。それよりも200年以上も前に 沖縄ではこんな城が築かれていたとに 驚かされる。


世界遺産に登録された城跡は 次の5ヵ所があって これら全部を見て回りたかったのだが, 「あとは どこを見ても同じような石積みがあるだけ」 という忠告もあったので, 限られた時間の中で 全部を踏破するのは断念した。

玉陵

玉陵の地図)


首里城公園に隣接して, 守礼門からわずか200メートルほど離れた場所に 「玉陵」 (たまうどぅん) がある。
ここは いわゆる 城(ぐすく)ではないが, 首里城の付属施設として 世界遺産に登録された,100%石造りの建造物である。

玉陵は 琉球国王歴代の墓で, 1501年に創設された。 琉球統一後の初代国王から 19代目まで(2代目と7代目を除く)の遺骨が 安置されている。

県立首里高校と道路をはさんで向かい側。ガジュマルやデイゴなどの亜熱帯の木々が こんもりと茂った一画があり, 林の中を歩いていくと やや低めの石垣が立ちはだかる。
小さな門をくぐると 白い細かい砂利(サンゴ?)が敷き詰められた だだっ広い空き地に出る。 空き地の奥には 石垣がさらにもう一つ。 ここの門をくぐると 横に長い石造りの建物が目の前に現れる。

建物は 木造の宮殿を模して造られており 「破風型墳墓」と呼ばれる形式である。
ちなみに 沖縄の墓は, 庶民のものであっても 「破風型」あるいは「亀甲型」の墓であり, われわれの常識からすると 非常に大きい。
東西に3つに分かれていて, それぞれ 洗骨前の遺体を安置していた中室, 洗骨後の王と王妃を葬った東室, 限られた家族のみが葬られていた西室 となっている。

玉陵の墓城は 1000坪弱だが, 深い林の中に この石の建物以外は何もないので 非常に広く感じる。
ここも 沖縄戦で大きな被害を受け, 修復作業は 1977年まで行われた。

左右の建物の上と 中央の塔の上に, 石彫の獅子(シーサー)が置かれていて 墓地を守っている。 2本足で立っているシーサーは かなり珍しいものだそうだ。

玉陵全景 玉陵上部に置かれた 立ったシーサー


識名園

識名園の地図)


識名園(しきなえん)も 首里城の付属施設で, 18世紀末に造られた 琉球王家最大の別邸。首里城から2キロほど南にあるため, 以前は“南苑”とも呼ばれた。
外国使臣(冊封使)の接待や 王族の保養などに利用された「迎賓館」だったらしい。

7000坪の広大な庭園の中央に, 御殿(ウドゥン)がある。
庭園は 池の周りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむ「廻遊式庭園」で, 江戸時代の大名の庭園のような印象だが, そこに植えられている植栽は ヤシ・ソテツ・バナナ・レイシ など, 南国系の植物が多数あって 独特の 風格となっている。

御殿へのアプローチの途中に ここにも石垣があった。 人の背を超える高さの 緩いカーブを描いた石垣で, 不思議な印象を与える。
急斜面の土留めのために作られたものではなく, いかにもとってつけたように 石垣が周囲から独立している。この種の庭園に 重厚な石垣があるのは珍しく, さすが「石壁の文化」の土地柄だと思わせられた。


index   コメントを見る
コメント或いはご意見がありましたら, 《こちら》