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【 ぐすく 】へのコメント      [2001-06-21]


「見たよ」メール ありがとうございました。
皆さんからいただいた コメント の一部をご紹介します。


【 Oさんから 】

  私も、ちゅらさんのファンで、BSで見ています。
  という訳で、今回のテーマはピッタリの感じがしました。私も1度だけ沖縄に行った
  ことがあり、修復前の朱礼の門に行きました。意外に質素な感じがしたことを覚えて
  います。

【 Fさんから 】

  来年が沖縄の本土復帰30周年。そして、元気の素`ちゅらさん'の古波蔵が
  珍しい苗字でないなんて、いろいろありがとうございます。

  3年前に行った鹿児島・知覧(知覧は映画:ホタル:でも思い出させられる)の
  武家屋敷の周りの重厚な石垣が今思えば同種の石灰岩だったのかな。

【 Mさんから 】

  今回の「はまだより・ぐすく」は いつもと比べて写真が少ない気がしましたが
  どれも印象的でとても分かりやすく、興味深いものでした。

  私も3年ほど前に沖縄へ4日ほど旅行しましたが、その時のテーマを 陶芸・
  織物(紅型)・食 としたため、ここに紹介された 城 関係に触れなかったのが
  残念に思われます。

  「ぐすく」に対してのコメントからは大きく外れますが
  訪ねてみて、これを読んで、の私が沖縄について感じるのは
  やはり日本であって日本でない、異文化 です。
  やはり歴史というのは重いですね。
  私は知り合いの “つて”で 現地の方に案内してもらい過ごしましたが
  「内地(ないち)」、「外地(がいち)」という言葉が
  幾度と出てきたことに 大変驚き 心に残りました。

  ますます外れますが、、沖縄って 人の顔もそうですが
  何かについて「濃いなー」と思いませんでした?(笑)
“ちゅらさん”は, 沖縄の雰囲気を日本中に伝えた という意味で, NHKの貢献度は非常に大きかったと思います。
主人公 えりー の, 底抜けに明るく 前向きで 自己主張が強く かつ お節介なところは, 沖縄人の 平均値とまでは言わないまでも, 特徴をよくとらえている というのが沖縄出身の人の話でした。

「内地」「外地」という言葉は, 戦前はよく使われたようですね。 かつて 北海道でも「内地」という言葉が言われたようですが, さすがに今はもう 使う人はあまりいないでしょう。
沖縄では 「うちなんちゅう(沖縄の人)」「やまとんちゅう(本土の人)」という 言葉がありますが, 初めて沖縄に来た人にいちいち説明するのが面倒なので, 代わりに 「内地の人」 と言ったりするという人もいるのかもしれません。 しかし 本当のところは 何人かの沖縄の人に聞いてみないとわからないですね。

沖縄は 確かに「濃い」ですね。花一つとっても 派手でケバケバしく目立つ色ばかりだし, 民謡にしても, 喜納昌吉をはじめとする最近の歌にしても, 主張が強くて, とにかく 何でも濃いです。 そこがまた 沖縄の魅力でしょう。

知覧というところは 特攻隊のイメージばかりが強いのですが, 「薩摩の小京都」と言われる 趣のある街だそうですね。 石垣の並ぶ武家屋敷群は 伝統的建造物群保存地区に指定されていて, このあたり一帯は 一つの庭園を形づくっているとか。 一度行ったみたい場所の一つです。


【 Gさんから 】

  私も先週沖縄に2泊して参りました。
  初めて踏んだ沖縄の地でしたが  縁は異なもの、この地に親戚が出来てしまったと
  言うことです。
  時間の合間をみて私は”ひめゆりの塔””平和記念公園”に参拝して来ました。
  戦後56年とは言えあらためて戦争の悲惨さを感じました。
  これからしばしば訪れる機会が有りそうなので  次回は”ぐすく”巡りを楽しみたいと
  思います。

【 Sさんから 】

  沖縄のお城は首里城しかないと思っていました、
  尤もNHKの大河ドラマや日本サミットでお目にかかった印象のみで、
  小川さんのように現地に赴き取材するような機会に恵まれないことも
  沖縄を小さな島に思っている所以です。

  私も行ってみたいなーと思いました。


【 Oさんから 】

   3年前にツアーで沖縄を訪れたことがありましたが、このなかでは首里城以外は
  初めて知りました。矢張り自分で調べて訪れないと、見落としがあるものですね。

   この記事で驚いたのは、洗骨なる風習です。一旦埋葬した仏を再度掘り出すなどは、
  世界の何処にもない風習ではないでしょうか。
   そのうちに又沖縄を訪れてみたいと思います。


沖縄のぐすく群が世界遺産に登録されたのは 昨年の暮れで, それ以来 各地の城跡が 注目されはじめていますが, それまでは 沖縄で見るべき所といえば “ひめゆりの塔”などの 沖縄戦関連の場所がメインだったように思います。
したがって これまで沖縄に行った人で 城跡巡りをした人は かなりに少なかった のではないでしょうか。

最近は「世界遺産をめぐる・・・」などというツアーもあるようですが, それでさえ 城跡を見るのは 首里城を中心とした ほんの形だけのもので, 従来型のルートとあまり大きくは変わっていないようです。
沖縄は これから... ですね。

洗骨という風習は, 朝鮮半島から中国, さらに東南アジアの一部にもあるそうで, おそらく中国から来た習慣ではないかと思います。


【 Mさんから 】

  いつも新鮮な話題をありがとうございます。
  私はまだ沖縄に行ったことはありませんが、とても住み心地のいいところで、
  海が綺麗で、泡盛の有名なところぐらいしか印象にありませんでした。

  現地の言葉や生活様式はなんだか日本ではないような感じも少しありますが、
  何だかとても、ゆったりした気分になりそうな土地柄みたいと思います。
  今度できたら、私も、沖縄に行ってのんびりと100年もの瓶に入った泡盛でも
  飲みながら、沖縄の珍味を堪能したくなりました。

【 Oさんから 】

   何時も「はまだより」を楽しみにしています。

   沖縄は2度訪れましたが、1回目は首里城が再建される前でしたので、守
  礼門が建っているだけで、城内は大学のキャンパスになっており、淋しい思
  いがしましたが、2回目の一昨年は、見事に再建された首里城を仰ぎ見て、
  琉球王朝の盛期をしのび、感慨にふけりました。

   しかし、城内は台湾からの観光客であふれており、周囲で聞こえるのは中
  国語ばかりで驚きました。 聞けば、週2回、台北からの観光船が那覇港に
  入港する由で、当日はたまたまその日に当たっていたのでした。 考えてみ
  れば、那覇から台湾までの距離は、九州までと大差ないのですから、不思
  議はないですね。

   玉陵にも行きましたが、沖縄では庶民の墓も立派なのには驚かされます。

   しかし、伝統的な民家は沖縄本島ではほとんど見られず、鉄筋コンクリー
  ト造りの家ばかりが目につきました。 一昨年は、石垣島にほど近い竹富島
  という小島も訪れましたが、この島は沖縄の伝統的な住居の保存に努めて
  おり、戦前の沖縄村落を見る思いがしました。 住民の総意により、それ以
  外の建物は建てさせないとのこと。 しかし、伝統的なシ−サーを乗せた琉
  球瓦の屋根を葺くのにも、瓦の入手が困難で、本島などで古い家を解体す
  る際に瓦を譲り受けるなど、大変苦労しているそうです。

破風墓
台湾からの定期的な観光船が来ているとは 初めて知りました。
沖縄から見ると 鹿児島と 台湾と 上海が ほぼ等距離で, 東京までは ざっとその2倍の距離なんですね。
沖縄の文化が 中国の影響を強く受けている理由がよくわかります。

沖縄の墓は 大きくて立派です。 車の中から 大きな 家型(破風型)の墓をたくさん見かけました。 不謹慎だと怒られそうですが, 思わず 車を下りて撮った写真です。 こういう墓がいくつも並んでいるのは 壮観です。
地方に行くと はるかに大きな墓があるそうです。

那覇市内に“壺屋通り”というところがあって, “壺屋焼き”という焼物(やちむん)の店が並んでいます。 ここを歩いていたら 「骨壺専門店」という店がありました。
沖縄の骨壺は, 我々が普通に見るのと同じようなものと, “厨子がめ”と呼ばれる 家型のものとがあるそうです。
ここに 厨子がめ の説明が書かれていたので, 抜き書きしておきます。

厨子がめ
厨子がめは 洗骨後のお骨を納める壺で 18世紀頃から家型のものが多くなりました。
現世は茅屋に住まおうと, 死後は神社仏閣の様な(立派な)建物に身を納めたい とする心のあらわれです。

尚, 当地では祖先崇拝の文化風習が根強く, 火葬が行われている現在でも この骨壺は使用されていて 現役でございます。
ちなみに, 沖縄の墓は亀甲墓・破風墓で, 多くの厨子がめが 充分納まる 広さになっています。

骨壺専門店 骨壺

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