渡し碑コレクション
中河原渡し  [なかがわらわたし]


場所
東京都府中市住吉町2丁目
コメント
旧鎌倉街道の渡し跡。
関戸橋(鎌倉街道)の北東角に 府中市の建てた石碑がある。

この石碑のある場所から 鎌倉街道沿いに100〜200m北に“中河原公園”がある。 この公園に「旧鎌倉街道散歩」という案内標があって, そこにも 中河原の渡しについての説明が書かれており, 更に 古い渡し船の写真が添えられている。 (下の写真参照)

撮影日
2002年9月
碑文
中河原渡し

 中河原渡しは, 中河原と 対岸の関戸(現多摩市)との間を結んでいた 鎌倉街道筋の渡しで, 中河原村が経営していたことから その名があります。 多摩川の中に 中河原村と 関戸村の境界があるため, 関戸川には 関戸村が経営する関戸渡しが設置されていました。 これらの渡しは, 昭和12年に関戸橋が竣工し, その歴史の幕を閉じました。 渡し賃は, 明治25年で平水時(2尺5寸)徒歩(一人)3厘, 馬(一頭)6厘, 人力車(一輌)6厘, 大七以上荷車(一輌)1銭などでした。 水深が5尺以上になると「川止め」(通船禁止)になりました。
         平成元年12月   府中市教育委員会

中河原公園 で見かけた説明文
中河原渡し
江戸時代に 多摩川は現在より北側の 立川段丘崖線の下, 現在の市川用水のある付近を 流れていました。 また, 現在の多摩川流域は浅川でしたので, この2つの川の間にあるところから 中河原の名が起ったといわれています。 鎌倉街道の関戸橋が 昭和12年(1937)に出来るまでは, 中河原の渡し場(渡船場)があり, 冬の渇水期には仮橋が設けられていました。 明治24年当時の記録では, 本流の渡船の川幅は 50間(約90M), 支流は2本あり いずれも架橋渡しで, その川幅はそれぞれ 15間(約27M), 11間(約20M)でした。本流の渡船渡しでは, 平水ならば 舟夫1人で足りましたが, 平水より1尺(約0.3M)増すごとに 1人の増員が必要だったようです。 渡場では, 通行人から渡船と架橋と 別々の渡賃をとっていました。 現在関戸橋の袂(府中側)には, 中河 原渡しの碑がたっています。

中河原渡し 中河原渡し
「中河原渡し」碑
「鎌倉街道散歩」に掲示された
渡し船の写真 (@中河原公園)