渡し碑コレクション
築地の渡し跡  [ついじのわたしあと] 


場所
東京都昭島市宮沢町3丁目
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JR青梅線・中神駅の南 1.5km。多摩大橋の下流側に 600m進んだ 多摩川の堤防上に “福島第五児童遊園”がある。 この一隅に「築地の渡し跡」碑が建っている。

ここは「児童遊園」とは言っても, やや幅の広い堤防の芝生の上に 数個の遊具と 四阿風のベンチをを置いただけの ごく小さな公園。
写真(右)の右側は 多摩川, 左側は 堤防下すぐに住宅が迫っている。

撮影日
2006年2月
碑文
築地(ついじ)の渡し跡

 かつてこの地に築地の渡しと呼ばれる多摩 川の渡し場があった。築地村(昭島市)と対 岸の粟ノ須村(八王子市)を結ぶこの渡しの 道筋は, 江戸時代以来大山街道と呼ばれ, 所 沢(埼玉県)から八王子を経て大山(神奈川 県)に至る古くからの主要道路であった。
 渡し場は築地村が管理し, 舟一艘を浮かべ 随時運航されていたが, 冬の渇水期になると 川瀬に仮橋がかけられ, 通行の便に供されて いた。なお, 明治初年, その管理が福島村に 移ってからは福島の渡しと称され, 昭和16年ごろまで存続した。
 ちなみに, 慶応2年(1866)6月, 武州 一揆の際にこの渡し場で展開された一揆鎮圧 戦の惨劇は, 広く人々の知るところである。
      昭島市教育委員会

築地の渡し跡碑 福島第五児童遊園(多摩川堤防)
築地の渡し跡 碑
福島第五児童遊園(多摩川堤防上)