渡し碑コレクション
佃の渡し  [つくだのわたし] 


場所
東京都中央区湊3丁目 と 佃1丁目
コメント
隅田川の 左岸と右岸, 佃大橋の両側に 渡し碑がある。
右岸 (明石町側) は, 佃大橋のすぐ北側の, 隅田川のコンクリート護岸を背にして, 「佃島渡船」と刻まれた石碑が ひっそりと建っている。 すぐ横に 中央区が設置した説明板がなければ 見過ごしてしまうような 地味な石碑である。
対岸 (佃島側) には, 右岸とほぼ同じ位置関係の 佃大橋の北側 (上流側)に 同じ形の石碑が建っている。

佃の渡しは 江戸時代の初期から 300年余りの間続いたが, 昭和38年に 佃大橋が完成したため, 渡し船の歴史が閉じた。隅田川で最後まで残った渡し船だった。

佃というと 古い町屋が並んでいる場所 というイメージがあるが, 元・石川島播磨重工の 工場跡地が 高層住宅街「大川端リバーシティ」に変身した新しい街と並んでいる。 30階以上の高層住宅が数棟並んでいて 昔のイメージとは全く違っている。

その手前に「佃島燈台」がある。江戸時代に建てられた灯台の復元だが, 背後の超高層アパートとの取り合わせが面白い。

撮影日
2000年4月
碑文
佃島渡船跡            所在地 中央区湊3丁目 / 佃1-2-10

 佃島は隅田川河口にできた自然の寄洲である。徳川初代将軍家康の時, 摂津国佃村 (大阪市西淀区佃島)の漁師を招いて住わせたところという。 この島と対岸の佃大橋西詰付近との間を通ったのが佃の渡しである。
 明治9年7月には, 渡銭一人五厘の掲示札の下付を願い出ている。 大正15年東京市の運営に移り, 昭和2年3月, 無賃の曳船渡船となった。 この石碑は, この時に建てたものである。
 昭和30年7月には一日70往復となったが, 同39年8月, 佃大橋の完成によって廃止された。

             昭和60年2月  中央区教育委員会

佃島渡船跡 佃島燈台
「佃島渡船跡」碑
佃島燈台