渡し碑コレクション
お茶屋の渡し  [おちゃやのわたし] 


場所
東京都荒川区町屋7丁目
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隅田川を 川下から川上に向かって眺めると, 最初は ほぼ北に向かって直線的に 伸びていた川筋は, 水神大橋を過ぎてから 西に曲がり, 大きく蛇行するようになる。
この蛇行の途中, 尾竹橋から 400メートルほど下流の 荒川区側に「尾竹橋公園」があり, その入口付近に 荒川区教育委員会の設置した碑が建っている。

天保年間(1840年ごろ)に開設され, 昭和初期まで続いた 渡し船の跡である。
対岸の足立区側に「富士見屋」「柳屋」「大黒屋」という 三軒の茶屋があったため 「お茶屋の渡し」の名がついたと言われ, また「お竹の渡し」とも呼ばれる。 この「お竹」が「尾竹橋」の名前に引き継がれたものと推量される。

余談だが, この尾竹橋公園のあたりは, 昭和30年ごろに 隅田川の一部を埋め立てて 公園や住宅地としたという。
この付近の隅田川の堤防は, 厚さ10センチほどのコンクリート板を立てた いわゆる「かみそり堤防」である。 下右の写真。ここは道路ではない。 高さ 2〜3メートルのコンクリートの護岸で, 3〜4メートルの幅があるので, よじ登れば ずっと川沿いに歩くことができる。 その左の壁が「かみそり堤防」で 3メートルぐらいの高さがあるだろうか。 この壁の向こう側は 河原のない隅田川の流れになっているが, ハシゴでもかけないと ここから水面を見ることはできない。

撮影日
2004年7月
碑文
お茶屋の渡し (お竹の渡し)
     あらかわの史跡・文化財

 ここから南へ約70メートル行ったところに, 町屋と 足立区千住桜木1丁目を結ぶ渡しがあった。 対岸の足立区側の渡し場の脇に 三軒の茶屋があったことから この名がつけられたといわれる。別名をお竹の渡し。 茶屋に「おたけさん」という名の女性がいたために そう呼ばれたという。
 この渡しは 天保年間(1830〜44)にはじめられたと伝え, 千住・西新井方面へ向かう交通路として 重要な役割をはたした。 昭和9年に この渡しから少し上流に 尾竹橋が架けられた後も しばらくは渡しが残っていた。
             荒川区教育委員会

お茶屋の渡し跡 かみそり堤防
 お茶屋の渡し跡 碑
 かみそり堤防