隅田川に架かる 勝どき橋 の築地側(西側)に“海軍経理学校”の碑が建っており,
そのすぐ近くに“勝どきの渡し”の碑がある。
築地と月島の間を結ぶ渡しだが, この渡しの命名にあたっては, 面白いいきさつがあった。
明治38年, 日露戦争で 苦戦の末にようやく 旅順が陥落して,
日本中は 提灯行列が行われるほど沸き立った。
これを記念して 近隣の市民有志が渡しを開設し, 後に東京市に寄付したものだという。
「勝鬨」の名前は 戦争に勝って「勝どきの声をあげる」という表現から採ったもので,
後に この場所に架けられた橋は同様に 勝鬨橋 と名づけられ, ここの地名にまで
「勝どき」の名前がつけられることになった。
一般には 橋の名前は 地名から採られることが多いものだが,
ここは渡し(橋)の名前が先にあって 地名はそれから採られた。
勝鬨橋は 隅田川の一番下流に架けられた橋で, 2連のアーチ橋。
大型船が航行するため 橋の中央部分を 両側にはね上げることができる,
‘可動橋’となっている。
しかし 戦後は 大型船の航行が少なくなり, 道路の通行量が多くなったため,
昭和45年を最後に 橋を動かすことはなくなった。
今も 可動部分の構造がそのまま残されていて, マニアが 橋を渡りながら写真を撮っている
姿がみられる。