渡し碑コレクション
田村の渡し  [たむらのわたし] 


場所
神奈川県平塚市田村
コメント
JR相模線の 寒川駅から 西に向かい, 神川橋を渡る。渡り切ったところで, 相模川の堤防上を 南に 100mほど入ると, いくつもの 碑 が建っている。
  • 自然石に「田村の渡場跡」と刻まれた 石碑
  • 金属板に挿絵も描かれた 平塚市の建てた 説明板
  • 中村清四郎 の歌碑
  • 「田村と田村の渡し場」と書かれた, 平塚観光協会が建てた 石碑
       昭和48年の日付があるが,古いせいか 刻まれた文字は 非常に読みにくい。
       碑文を下記に掲げる。
   田村と田村の渡し場

田村の地は 古くから 坂上田村麿に由縁の 地と伝え 箱根路につづく 陸奥への海道に 沿ったところに 相模川の渡し場があった
鎌倉時代には 三浦平六義村の田村の館があ り 鎌倉武士が しばしば往来したことは 史書にあきらかである また 江戸時代には 関東の霊域大山石尊社への 参詣道として繁 昌した
田村の渡し場は 大往郡田村 高座郡一之宮 村 同田端村の三村が管理し 渡し舟・馬舟 など四艘を常置していた
明治初年の記録に「川幅五百二十二間(約 939米) 水流六十間(約108米)」と みえている
渡し場から 西方諸山岳の眺景の記録は 最 も著名で 詩歌の作品が多くのこっている

       昭和48年3月21日
                    平塚市観光協会
                    平塚市■■■長

撮影日
2003年2月
碑文
田村の渡し場

 田村の渡しは, 中原街道と大山道の二つの往還の渡しでした。 中原街道は中原村と江戸を結んだ脇往還で, 大山道は藤沢・江ノ島からの 大山参詣のために使われた道です。
 渡し場のある田村は, この両往還と 平塚から厚木へ向かう 八王子道が交差する所で, 旅籠屋などもあり「田村の宿」とも呼ばれていました。
 渡船場の業務は, 田村と対岸の 一之宮村・田端村(寒川町)の 三か村が勤めていました。
 また, 田村の渡し場付近は, 大山・箱根・富士山を眺望することができ, 景勝地としても知られていました。
           平成13年(2001)3月   平塚市

田村の渡し 田村の渡し
田村の渡し