渡し碑コレクション
久所の渡し  [ぐぞのわたし] 


場所
神奈川県相模原市田名
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JR相模線 番田駅の東 3km の地点。県道63号線(相模原大磯線)が 相模川を渡る 高田橋の脇に, 「鮎供養碑」と並んで 写真の碑が建っている。

「久所」は「ぐぞ」と読む。
この辺りは 旧大山街道が相模川を渡る場所で, 宿場町として栄えた。 ここから北の方一帯は「水郷田名」とも呼ばれる。
「烏山用水」の水路は 木道が設置され, 遊歩道として整備されている。 民家の間を縫う流れは アカメの見事な垣根に囲まれ, 水路には鯉が泳き, 花菖蒲が植え込まれたりして, 季節ごとに美しい姿を見せる。
近くにある説明板には 次のように書かれている。

     水郷田名の歴史

 「水郷田名」は, 田名地区の中でも特に, 相模川に面して発達した久 所(ぐぞ)地域を中心に広がる地域をいいます。
 この水郷田名を含む田名地区の歴史は古く, 原始・古代の時代に遡る ことができます。しかし, 記録としては戦国時代のものが最も古いもの で, それ以前のことは不明な点も多く, よくわかっていません。
 江戸時代の後半, この地域を支配していたのは, 下野国烏山藩 の大久保氏です。大久保氏は, 田名河原の水田を拡張する ために相模川に隧道を掘り, 用水を引きました。しかし洪水のために荒 廃してしまい, この計画は失敗してしまいました。その後, 地域の篤志 家江成久兵衛らの努力によって再び用水として復興され, 現在に至って います。そのためこの用水を「烏山用水」また は「新堀」と呼んでいます。
 この頃, ここには相模川を渡り, 対岸の小沢(愛川町)とを結ぶ「渡 し場」がありました。大山詣りの参詣者たちは橋本から下久沢を通る 「大山街道」を通ってここまで来, この「渡し」を利用しました。また, 相模川はそのまま水上交通の流通路としても栄え, 筏・高瀬船などが行 き来する姿が見られました。
 その後, もともと盛んだった鮎漁に鵜飼いなどの観光的な要素も含ま れ, 兼業旅館などが建ち並ぶ歓楽街となって繁昌し, 「水郷」と呼ばれ る所以となりました。
 また, 明治3年, 英国人マック・レガーはここでカヌーを浮かべ, こ れが日本で最初のカヌーの旅として紹介されています。
 やがて, 昭和10年に神奈川の観光名所45選の中に選ばれ「水郷田名」 として広く知れわたることとなりました。
 しかし, このように明治から昭和の初めにかけて観光客でにぎわった水 郷田名も, 上流のダム建設による相模川の水量の減少や, 砂利採集によ る河床の低下による魚類相の変化などにより, 観光地としての一時の 勢いを失ってしまいました。

撮影日
2005年4月
碑文1
久所の渡し

このあたりには対岸の小沢とを結ぶ渡し場がありました。 おもに大山参りの人々がよく利用したため, 久所 はその宿場としてにぎわいました。
    平成元年3月  相模原市

久所の渡し碑 烏山用水
 久所の渡し 碑
アカメが美しい 烏山用水