渡し碑コレクション
岩淵渡船場跡  [いわぶちとせんばあと] 


場所
東京都北区岩淵町
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地下鉄南北線・赤羽岩淵駅の 約500m北, 新河岸川と荒川を渡る「新荒川大橋」がある。
この橋を途中まで渡り 新河岸川をと荒川の間の土手(橋の西側)に出ると, すぐ 写真の説明板が見つかる。

ここは 隅田川が荒川から別れる“岩淵水門”の 1kmほど上流に当り, 広い河川敷は 野球場やゴルフ場などがあるだけで, 見渡す限り視界をさえぎるものがなく 散歩をするには とても気持ちのよい場所である。
この渡し場は 対岸の川口市と結ばれていたため, 「川口の渡し」とも呼ばれていて, 川口市側にも 渡船場跡の碑が存在するらしいが, どこにあるのか 現時点でまだ確認できていない。

撮影日
2005年2月
碑文
岩淵渡船場跡   岩淵町41番地

 このあたりに, 岩淵宿から荒川を渡り, 川口宿に向うため の渡船場がありました。江戸時代, ここが川口宿の飛地であっ たことから「川口の渡し」とも呼ばれていました。
 渡船場は, 奥州との交通上の拠点として古くから利用されて おり, 鎌倉幕府を開いた源頼朝の挙兵に合せて, 弟の義経が 奥州から参陣する途中, ここを渡ったといわれています。また 室町時代には, 関所が設けられ, 通行料は鎌倉にある社の造営 や修理費などに寄進されました。
 江戸時代, ここを通る道は, 日光御成道と呼ばれる将軍の日 光東照宮参詣の専用道として整備されました。渡船場も将軍専 用と一般用にわかれており, 将軍が参詣のために通行する際は 仮橋として船橋が架けられました。船橋は長さ65間(約117m), 幅3間(約5.4m)です。
 一般の渡船場は, 人用の船と馬用の船が1艘ずつ用意されて いました。渡船の運営は岩淵宿と川口宿が隔日で勤めてきまし たが, 大名の通行などの際, 近隣村で現在の北区内の下村・浮 間村, 埼玉県戸田市の早瀬村の3ヶ村も勤めることになってい ました。また, 対岸の河原にある川口善光寺が, 名所として参 詣者で賑わうようになり, 開帳中は船橋が架けられたほどでし た。
 渡船場は, 明治以降も利用され, 明治38年(1905)3月 からは常設の船橋が架けられました。しかし交通量が増大す るにつれて, 船橋では対応できなくなり, 昭和3年(1928) 9月, 少し下流に新荒川大橋が開通すると, その役割を終え, 船橋は撤去されました。
  平成7年3月
              東京都北区教育委員会

岩淵渡船場跡
 岩淵渡船場跡
荒川の土手
 荒川の土手