渡し碑コレクション
矢切の渡し  [やぎりのわたし] 


場所
千葉県松戸市下矢切〜東京都葛飾区柴又7丁目 の間
コメント 
江戸川を挟んで 東京都〜千葉県 の間を通う 現役の渡し船である。
映画"寅さん"シリーズでおなじみの「柴又帝釈天」のすぐ裏手 から, 対岸の 松戸市矢切 まで。
江戸川は このあたりでは およそ500メートルの川幅があるが, 水が流れているのは 100メートルほど。

東京側と 千葉県側の両方に 「矢切の渡し」の碑がたっており, それぞれ 説明板が添えられている。

撮影日
2002年3月
碑文
(東京都側)
矢切の渡し

元和2年(1616), 幕府は利根川水系河川の街道筋の重要地点15ヵ所を定船場 として指定, それ以外の地点での渡河を禁止しました。
その1つが 矢切の渡し で, この付近を通る 国分道 に架かる渡しで, 主に近郷の農民が対岸の農耕地へ渡るために利用していました。
現在, 都内に残る唯一の渡し場で, 今も昔ながらの手漕ぎの和船が 対岸の 松戸市下矢切との間を往復しています。
伊藤左千夫の名作「野菊の墓」の舞台となり, ヒット曲「矢切の渡し」を生んだ地としても有名です。

碑文
(千葉県側)
矢切の渡し

矢切の渡しは 松戸市下矢切と 東京都柴又を往復する渡しで その始まりは380余年前 江戸時代初期にさかのぼります。
当時, 江戸への出入は 非常に強い規則のもとにおかれており, 関所やぶりは「はりつけ」になろうという世の中でしたが, 江戸川の両岸に田畑をもつ農民は, その耕作のため 関所の渡しを通らず 農民特権として 自由に渡船で行きかうことができました。 これが 矢切の渡し の始まりで いわゆる 農民渡船 といわれるものです。
明治以降は, 地元民の足として, また自然を愛する人々の散歩コースとして利用され 現在では唯一の渡しとなっています。
この矢切の渡しの庶民性と 矢切の里の素朴な風景は, 千葉県の生んだ歌人でもあり小説家でもある 伊藤左千夫の小説“野菊の墓”の 淡い恋物語の背景となっており その小説の中で美しく描かれております。
           平成10年3月

矢切の渡し 矢切渡し
矢切の渡し
(東京都側)
矢切の渡し
(千葉県側)
矢切渡し   矢切の渡し