東郷氏祖先発跡地
[とうごうしそせんはっせきち]
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場所 |
神奈川県綾瀬市早川城山3丁目
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コメント |
小田急線海老名駅から 南東に2.5km。城山公園のほぼ中央部,「物見塚」の上に
大きな石碑が建っている。
城山公園のある場所は, 平安時代末期に 渋谷氏が築城したのが始まりとされる。
渋谷一族は やがて九州に所領を得て 多くはそちらに移り住み,
相模の渋谷氏は衰退していったが, 戦国時代に 渋谷氏の末流と思われる
石川重久がここにあって, 徳川家康が関東を知行したときに 早川城址に陣屋を構えた。
公園は 早川城跡で, 中心部の 芝生広場の片隅に“物見台”と呼ばれる小山が残り,
そこに「東郷氏」の発祥の地を示す 城跡碑が建てられている。
東郷氏は 日露戦争でバルチック艦隊を撃破した 東郷平八郎の一族で,
渋谷一族の子孫といわれる。
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撮影日
| 2004年10月 |
碑文
| 東郷氏祖先発跡地
元帥伯爵東郷平八郎書之
相模高座の郡早川郷は往古渋谷庄司重国の領地にして其子光重孫重直実重
の住地なり光重承久の乱に戦功あり薩摩国薩摩郡の数郷に封せられたり光
重は長男重直と共に早川に在城し次男早川次郎実重三男吉岡三郎重保四男
大谷四郎重茂五男曹同五郎坊定心下男落合六郎重貞は宝治二年の春薩州の
封地に下向せり而して実重は川内川の上域東郷の地を領し姓を東郷と改む
元亀元年東郷の一族島津氏に帰服するに至る迄三百十有余年間其子孫東郷
地方に割拠し渋谷党と称し雄を北薩に振へり爾来東郷の姓を冒す者概ね其
後裔なり昭和六年有志相謀り東郷氏の祖先発跡の旧地を卜し早川の城山物
見塚に碑を建て以て後昆に伝ふと云爾
昭和六年 月
海軍中将正四位勳一刀功四級東郷吉太郎撰並書
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説明板
| 物見塚と東郷氏祖先発祥地碑
早川城本郭の西側に位置するこの塚は, 物見塚と呼ばれて
います。南北21m, 東西23m, 高さ約2mの塚です。発掘調
査の結果, 表土直下に宝永火山灰(1707年, 富士山の噴
火による火山灰)が見られることから江戸時代初期以前に築
かれていることは明らかです。また, 塚の作り方が土塁と同
様の版築(黒土と赤土を交互に敷きつめて突き固めたもの)
であることから, 城郭の関連遺構のひとつであり, 外敵の侵入
を見張るため築かれた塚であると思われます。
物見塚の上には, 昭和7年に祖先発祥地東郷会により建て
られた「東郷氏祖先発祥地碑」があります。この碑は日露戦
争で有名な旧海軍元帥である東郷平八郎の先祖の地であるこ
とを記念して建てられたものです。東郷家は, 早川城主で
あったと伝えられる渋谷氏の末裔の一つでした。
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