![]() 新潟港水先案内水戸教発祥地 [にいがたこうみずさきあんないみときょうはっしょうち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移行作業中です。 | |||||
場所 |
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コメント |
JR信越本線の新潟駅から北北東に3km。
湊小学校の100mほど北に 日和山と呼ばれる高さ数メートルの小さな丘がある。丘の上の住吉神社に上る階段の脇に「新潟港水先案内水戸教発祥地」と書かれた木製の標柱が建っている。
“水戸教”と聞くと何やら新興宗教のようだが,そうではなくて,新潟港の水先案内や海難救助をする事業のことだという。
み‐と 【水門・水戸】
新潟港は信濃川の河口にあり,水深が浅い部分があって 船の出入りに際しては水先案内による誘導が必須だった。この日和山は 当時の河口に近く港がよく見えたようで,江戸時代の中頃(寛政年間)から 代々伊藤家が水戸教の職を世襲し,昭和4年に県の直営となるまでまで続いたという。
日和山には 次のような説明が掲示されている。
日和山 Hiyoriyama
新潟日和山 水先案内 水戸教 東堀通十三番町 江戸時代の和船は,雨や風の影響を受けやすい構造だったので,航海には常に危険が伴いました。そのため,船頭は湊に近く見晴らしのよい高台で,日和(天気)の良し悪しを見て,出帆を判断しなければなりませんでした。 また,河口に位置する新潟の湊は,「かんぬき州」と呼ばれる浅瀬ができやすかったので,それを避けるため,船の水路(水戸)を教える水先案内(水戸教)が必要でした。そのため,町の北端にあるこの高台の上に船見櫓を設け,日和や船の出入りを観測していたのです。 このように日和山は,新潟湊にとって「管制塔」の役割を果たす,重要な場所でした。頂上には,方角を知るための「方角石」,湊に入る目印となる「日和の松」,航海の安全を祈願する「住吉神社」の3つの宝が設けられています。 | ||||
撮影日
| 2010年11月 | ||||
碑文
| 新潟港水先案内水戸教発祥地 | ||||
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移転先 https://840.gnpp.jp/niigatakomizusakiannaimitokyo/