発祥の地bannar
地名「大塚」発祥の地
 [ちめいおおつかはっしょうのち]


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場所
東京都文京区大塚1丁目
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地下鉄丸ノ内線・茗荷谷駅の南西100m。
跡見学園の東門に通じる道路のの入口付近に 三井住友銀行の研修所があり, その敷地内に 発祥碑が建っている。

かつて この地には古墳があったと言われ, 大塚は これにちなんだ地名である。 1629(寛永6)年の文書には 既に「大塚」という地名が見られる。
明治に入ってから ここに「帝国女子専門学校」「静修女学校」などの学校が開設されたが, 戦災で焼失した。
相模女子大のホームページに 帝国女子専門学校の大変立派な校舎の写真が掲載されている。

「静修女学校」について,相模女子大のHPに, 静修女学校は 相模女子大に引き継がれたように書かれている。

1909(明治42)年 西澤之助氏が「帝国女子専門学校」を開設。「日本高等女学校」を付設。
1915(大正4)年 日本高等女学校内に「静修実科女学校」を併設。
1945(昭和20)年 戦災により校舎焼失のため 神奈川県相模原市に移転。
1950(昭和25)年 静修女子高等学校・中学校を「相模女子大学高等学校・同中学校」と改称。

しかし 別の説明をしているサイトもある。
「静修女学校」は 聖公会の運営するミッション・スクールで, 1893(明治26)年に 石井筆子(明治初期に 津田梅子らと日本初の女子留学生として渡欧) が校長となったが, 1902(明治35)年 静修女学校を解散し 土地・建物・生徒等を津田梅子の女子英学塾に託し, 現在の津田塾大学に引き継がれた。

入り組んだ事情があったように思われるが, 「地名・大塚発祥の地」から逸れるので これ以上深入りはしない。
撮影日
2007年1月 (写真提供 T.K.さん)
碑文
地名「大塚」発祥の地

日本高等女学校明治三十三年創立帝国女子専門学校明
治四十三年創立静修女学校大正四年創立以上三校の旧
校地ここ大塚七十番地の校庭の一隅に樹木に囲まれた
稲荷の小祠があった。元来これは先史時代の古墳で昔
から大塚といわれて居り馬琴の八犬伝に見え大塚の里
は即ちこの附近一帯の土地であってこの古墳に因んだ
名称である。小祠は学校と共に昭和二十年の戦災によ
って焼失しその焼跡は三井銀行の所有となって二十五
年の歳月が流れた。卒業生有志は由緒あるこの古墳の
湮滅を憂い三井銀行に懇請して幸に承諾と後援とを得
石碑を建立て永く後世に伝える
  昭和四十六年六月吉日
      東京大学名誉教授文学博士 宇野哲人選
                 干時齢九十七歳
      日本書道連盟理事  青蓼 深沢邦一書

        発起人 相模女子大学理事 上床雪
        建立  三井銀行


 
地名「大塚」発祥の地碑
地名「大塚」発祥の地 碑

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