小田急線・秦野駅の北西約1km。曽屋神社の斜め向かいに「曽屋配水場」があって,
その敷地内に 「曽屋水道」の説明板が建っている。
すぐ近くには「紀年碑」と書かれた大きな石碑も建っているが, 風化して碑文は読めない。
ここは かつて曽屋水道の浄水場が設置されていた場所。現在は「曽屋配水場」と呼ばれる
公園になっている。
説明板の設置時期は不明だが, かなり古くなっていて 上半分の文字は読み取るのが非常に困難。
その結果 下の碑文は■ばかりの虫食い状態になっている。
秦野市の水道は 1890(明治23)年に給水を開始した「曽屋水道」に始まる。
これは全国的にも非常に早く, 横浜・函館についで3番目と言われる。
それ以前に飲用水として用いられていた用水路から コレラが伝染し
多数の犠牲者を出したことを契機に 陶管を利用した水道が敷設された。
延長5kmと 比較的小規模なものだったが, 技術上の援助のほかは 一切を住民が費用負担した
「自営水道」だった。簡易陶管水道・自営水道としては 日本初である。
1923(大正12)年の関東大震災で 水道施設や配水管は破損したため,
陶管は鉄管に 貯水池は地下式配水池に改良して復旧された。
1970(昭和45)年から 市内13系統に分かれていた水道を統合整備し,
秦野市水道は一本化された。