発祥の地bannar
眼鏡レンズ発祥之地
 [めがねれんずはっしょうのち)]


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場所
大阪府大阪市生野区田島3丁目
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JR関西本線の東部市場前駅から 北に1.2km。
大阪市立田島小学校の西側に「田島神社」がある。南北に100mほど延びる参道の真ん中に 大きな「石田太次郎顕徳碑」と「眼鏡レンズ発祥之地」碑が並んで建っている。

田島地区は 明治から昭和にかけて, 国内有数の「眼鏡レンズ」生産拠点だった。
後に「レンズの始祖」と呼ばれた石田太次郎は ここ田島村で生れ, 丹波の国でレンズ研磨の技術を習得。 1857(安政4)年に 田島村にその技術を紹介し, 田島の家内産業に発達した。
1913(大正2)年に 農村だった田島村に電力が引かれると, 眼鏡レンズ専門工場が生まれ, 最盛期には 200軒を超える業者が集まり, 日本一の眼鏡生産地となった。
しかし 1960年代以降, プラスチックレンズの技術が開発され, 軽くて割れにくい優れた特性から ガラスレンズに取ってかわり, また 工場で大規模に量産されるようになったため, 田島のレンズ製造は急激に減少していった。

撮影日
2006年10月
碑文
眼鏡レンズ発祥之地
 わが国の眼鏡レンズ発祥 之地は, 生野田島町であり ます。安政四年始祖石田大 治郎翁がレンズ研磨を手工 業として当地に伝え, 農家 の副業とし, 明治時代を経 て来ました。大正五年本格 的生産に乗り出し生産高五 十万ダースの規模となり, 昭和十年には, わが国眼鏡 レンズ産地を確立しました。 貿易も始まり戦時重要統 制産業組合を経て, 昭和二 十六年大阪眼鏡レンズ製造 工業協同組合を創立し, 医 療用具レンズの生産地とし て各国に輸出し, 昭和五十 年出荷額百七十二億円に達 し隆盛を極めました。ここ に百三十五年の歴史と産業 の礎を記念し新たなる決意 を後世に伝えます。
  平成四年十一月吉日
    大阪眼鏡レンズ
       製造工業協同組合
眼鏡レンズ発祥之地碑 田島神社
眼鏡レンズ発祥之地 碑
田島神社


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