![]() 観海流発祥地 [かんかいりゅうはっしょうち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移行作業中です。 | |||||
場所 |
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コメント |
JR紀勢本線の阿漕駅から北東へ約2km。
阿漕浦の北端にある
この像の下に「観海流発祥地」の文字が書かれている。また発祥碑のそばに 津市教育委員会による 観海流の説明板が設置されている。
「観海流」は伊勢湾を中心に発達した 日本古流泳法。幕末の19世紀半ばに,宮発太郎信徳によって 津の藤堂藩に導入された。
発祥碑の横に設置された説明板には,次のように書かれている。
津市指定無形文化財
泅水術(しゅうすいじゅつ) 観海流 江戸時代 昭和32年6月10日指定 この泳法の開祖は,武州忍藩(現在の埼玉県行田市)の浪人宮発太郎信徳で,諸国を巡るうちに水泳術を習得し,幕末の嘉永5年(1852)に藤堂藩へ来藩した。その時,家老藤堂高克(たかよし)によってその水泳術が高く評価され,藩校有造館(ゆうぞうかん)の教科の1つに取り入れられて阿漕(あこぎ)浦で教えられるようになった。観海流の名も藤堂高克がその泳法を評して「海を観ること陸の如し」と詠んだことにより名づけられた。宮発太郎は山田省助とその弟の種村順次郎に免許皆伝を与えた後,津藩を去った。 観海流は,疲労が少なくいつまでも静かに泳ぐことができる。初代家元となった山田省助には,ここ阿漕浦から泳いで伊勢湾を横断し,知多半島の常滑で味噌を買い,頭にしばってまた泳ぎ帰ってきたという話が伝わっている。泳ぎ方としては,かえる足の平泅(ひらおよ)ぎを基本泳法とし,太鼓による長距離団体泳法を特徴としている。業前(わざまえ)として,一つ拍子抜手,三つ拍子抜手,半身泅(かたみおよ)ぎ,浮身などがある。 明治4年(1871)廃藩置県によって他の武術ともども指導の場を失ったが,明治11年(1878)に道場が再開され多くの子弟が育っていった。現在,毎年1月に寒中水泳を行っている。 津市教育委員会
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撮影日
| 2010年5月 (写真提供 T.H.さん) | ||||
碑文
| 観海流発祥地 流祖宮先生像 碑文 嘉永五年武州忍藩の浪士宮発太郎信 徳先生諸国漫遊の途次当藩に来遊 時の閣老藤堂高克公号帰雲に聘せら れ水泳師範となる 其の泳法実に神 技を極め恰も陸を行くが如し 公こ こに於て観海如陸の句をおくりて激 賞せらる 先生との賞句をとりて流 名となし流祖となる 尓来観海流と 称し此処阿漕裏に道場を設けて子弟 を教導す 安政三年高弟山田省助衣 鉢を継ぎ初代家元となり二代山田羆 之進三代現家元山田慶介に至る 今年茲に発祥百年祭の佳季を迎え 其の功徳を不朽に伝えんため全国の 門弟有志あいはかり之を建つ 時に 昭和二十九年七月二十八日 最高師範 垂髪猛雄書 | ||||
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