地下鉄・東日本橋駅の東 200m の地に「薬研堀不動院」がある。
これの中庭のように囲まれたところに, 発祥碑が建つ。
同じ場所に 講談発祥記念碑 もある。
長崎で蘭学を学んだ 佐藤泰然(当時 和田姓)は, 1838(天保9)年 この地 薬研堀に
蘭学塾「和田塾」を開き, 塾生に蘭学を教えると同時に 外科専門の治療を行った。
1843(天保14)年, 佐倉藩主に招かれ 佐倉に「順天堂」を開いた。
(この建物は 現在「旧佐倉順天堂記念館」=千葉県指定史跡 として公開されている。)
これが「順天堂」の名前の発祥。
同時に 泰然は 母方の姓 和田から 父方の姓 佐藤に変えた。
佐藤泰然は 当時画期的であった 種痘を行うなど 優れた新技術の導入に積極的であった。
その後 1873(明治6)年 養子の 尚中 の代に,
東京下谷練塀町に病院を開き, 1875(明治8)年 湯島に順天堂医院を開業。
1946(昭和21)年 順天堂医科大学が認可され, 1951(昭和26)年 には 順天堂大学が開設され,
現在の 順天堂大学と附属順天堂医院 に引き継がれている。