発祥の地bannar
浅草寺観音発祥の地
 [せんそうじかんのんはっしょうのち]


場所
埼玉県飯能市岩渕
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西部池袋線の飯能駅から南東に3km。
埼玉県道195号線で飯能市と青梅市の境界付近に南下すると,岩井観音堂がある。観音堂入口の看板に「浅草寺観音発祥の地]の文字が書かれている。また観音堂横に設置された説明板には「浅草観音生誕地」の文言も見える。

東京浅草の浅草寺の本尊・聖観音像は,ここ飯能市の岩井観音堂に安置されていたものであるという言い伝えがあり,この地は「浅草寺観音発祥の地」と言われている。岩井堂観音と浅草寺に伝えられる伝承は おおよそ次のようなものである。

今から1400年ほど昔の話。一人の旅の僧が当地に堂を起こし観音像を安置した。ある年に大暴風雨が起こり堂が押し流され,尊像とともに崖下の激流に流され,行方不明になってしまった。
それから100年の後,宮戸川(隅田川の古称)の浅草浦付近で漁をしていた桧熊浜成・竹成(ヒノクマ ハマナリ・タケナリ)兄弟の網に 1寸8分(5.5cm)の大きさの金色に輝く仏像が掛かった。兄弟は土地の識者であった土師真仲知(ハジマ ナカチ)に相談し,その薦めに従い堂を設け像を安置した。これが金竜山浅草寺の起こりと伝えられる。
この話を伝え聞いた郷人は この仏像は岩井堂観音であると信じ,その返還を求めたがかなわなかった。
時代が変わって,1923(大正12)年の関東大震災の後,浅草寺より岩井堂へ 本尊の観音像の分身として一体の聖観音立像を奉還したいとの申入れがあり,地元岩淵村をはじめ近隣町村全てを挙げて歓迎する中を 入仏式が行われた。

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撮影日
2014年5月 (写真提供 T.H.さん)
碑文
浅草・浅草寺観音発祥の地
  岩井堂観音 歓喜寺

(説明板)
     浅草観音生誕地 岩井堂縁起
およそ一四〇〇年前,一人の旅僧がもたらせた観音像が嵐により転落し,成木川から浅草浦へ流れ着いた後,漁師の網で海上げされた観音像が岩井堂観音であるという口碑伝承が実を結び昭和八年九月十五日 浅草観音の御分身として聖観音像が岩井堂に奉還された。同年,海上げ記念地である駒形堂が新築され,同時に岩井堂も同様の形式で新築された。これは当時の浅草寺執事長清水谷恭順師(後の二十四世貫首)の尊い尽力によるものです。そして師が口碑伝承を真摯に受け止め,浅草観音の生誕の地を尊ばれた結果であり,深い観音信仰の顕れである。
我々の遠い祖先から受け継がれてきた信仰の象徴,岩井堂観音は郷土の誇りである。
          一八八会経営者会議
          岸高山歓喜寺
            平成二十一年六月


 
浅草寺観音発祥の地 看板(岩井堂観音入口)
浅草寺観音発祥の地 看板
(岩井堂観音入口)
右下に下る階段があり観音堂に至る
岩井観音堂
岩井観音堂
観音堂は成木川沿いにある
(入間川の支流で隅田川につながる)
浅草観音生誕地 説明板
浅草観音生誕地 説明板


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