発祥の地bannar
蕎麦切発祥の地
 [そばきりはっしょうち]


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場所
山梨県甲州市大和町木賊
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JR中央本線の甲斐大和駅から 国道北東に4km。
甲州街道から日川沿いに 県道218号(大菩薩初鹿野線)を北東に上ると,渓谷美で知られた “竜門峡”の近くに 臨済宗の寺・天目山栖雲寺がある。 この境内に「蕎麦切発祥の地」と書かれた大きな茶色の自然石の石碑が建っている。

そばが日本に伝来したのは 奈良時代以前と言われるが,その食べ方は 脱穀したそばの実をそのまま雑穀類に混ぜて煮たり,そば粉を練った“そばがき”の形態であり, 細く切って“麺”(=そば切り) の形態で食べるようになったのは 室町時代のころと思われる。
ここ栖雲寺が そば切り発祥の地とされる根拠の一つとして, 天野信景という人物(尾張藩士・国学者)が書いた『塩尻』という随筆に,

「蕎麦切りは甲州よりはじまる。初め天目山参拝多かりし時 参拝の諸人に食を売るに そばを練りて 旅籠とせしに,其後うどむを学びて今のそば切りとはなり・・・」
という記述があることが挙げられる。
他に そば切りの発祥地として “中山道本山宿”説や “木曽・大桑村の定勝寺”説もある。 しかし 栖雲寺説を含め いずれの説も 確実な発祥地と断定できる内容ではないとされる。

なお,栖雲寺に関しては 次のような 旧・大和村が設置した説明板が建っている。

    栖雲寺

 貞和4年(1348)業海本浄禅師が開山した禅寺 で,業海は文保2年(1318)に元の国に渡り中峯 普応国師に師事し,元の天目山で修行して帰国後 武田家の招へいによりこの寺を開いた。
 以来,武田家の信望が厚く境内には武田信満の 墓,重要文化財の普応国師の坐像のほか,県指定 文化財の業海本浄和尚木像,地蔵菩薩磨崖仏など 多くの文化財がある。庫裏右手の裏山には,禅僧 の修行の場として使われた石庭がある。
              山梨県・大和村

撮影日
2009年5月 (写真提供 T.K.さん)
碑文
蕎麦切発祥の地
    天目山栖雲寺

 
蕎麦切発祥の地碑 栖雲寺本堂
蕎麦切発祥の地 碑
栖雲寺 本堂


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