![]() 日仏親善函館発祥記念碑 [にちふつしんぜんはこだてはっしょうきねんひ] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移行作業中です。 | |||||||
場所 |
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コメント |
函館市電の終点・函館どっく前停留所から 南に500m。
函館半島の西端に 称名寺と東本願寺函館別院に挟まれて,日蓮宗の一乗山・実行寺がある。 本堂の前には 「日仏親善函館発祥記念碑」と刻まれた石碑があり, その上に 丸い窓の空いた石の彫刻が載っていて, 窓の中央で 左右から突き出た2人の手が しっかり握手している,という 印象的なモニュメントになっている。
日米和親条約が締結された 1854(安政元)年,函館港はまずアメリカに対して開港され,次いで 日英・日露両国とも
和親条約締結と共に 両国に対して開港されていった。しかし フランスとの間で和親条約が締結されたのは,
1855(安政2)年10月のことだった 。 なお,実行寺については 函館市が設置した説明板に 以下のように書かれている。 実行寺は,明暦元年(1655年),山ノ上町(現弥生町)で清寛という僧が草庵を結んだのが始まりで,元禄3年(1690年) 松前の日蓮宗法華寺の末寺となったが,実行寺と称するようになったのはいつ頃からか明らかではない。 (明治17年山梨県身延山久遠寺の末寺に編入。) 正徳4年(1714年),富岡町(現弥生町)に移転し,明治12年(1879年)の大火後,同14年(1881年)にこの地に移った。 その後も幾度か大火に見まわれ,同43年(1910年)現在の建物が完成した。 実行寺は,安政元年(1854年) ペリーが来航したとき写真班の宿舎にあてられ,同5年(1858年)にはロシア領事館にも利用された。 また,明治2年(1869年)箱館戦争終結後,旧幕府軍戦死者の遺体が市中に放置されたままになっていたとき, 住職が侠客柳川熊吉と相談して,寺に葬ったという美談も残されている。 函館市 | ||||||
撮影日
| 2009年4月 | ||||||
碑文
| 日仏親善函館発祥記念碑
1855年 フランス・インドシナ艦隊のシビィル号,ヴィルジニ号,
コンスタンチヌ号の緊急寄港に際し,箱館奉行,竹内下野守保徳は
独断で人道的立場から入港と養生の為の上陸を許可した。 | ||||||
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