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感恩講発祥之地 [かんおんこうはっしょうのち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移行作業中です。 | |||
場所 |
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コメント |
JR奥羽本線・秋田駅から南西に1.5km。
旭川に架かる“下新橋”の西側に“新政酒造”がある。 酒造所の北側に隣接する児童公園の北西隅に,2枚の石板と石柱を組みあわせた発祥碑が建っている。
「感恩講」とは,一部の地域を除けば あまり知られていないが,
1829(文政12)年に創られた,日本初の“民営による窮民・孤児救済機関”。
現代風に言えば NPO(民間非営利組織)のような組織である。 1833(天保4)年に 東北地方はかつてない大飢餓に見舞われ,餓死や疫病死があいついだ。 発足間もない感恩講では資金がまだ不十分ではあったが,那波が私財を投じ,また藩からの支援も受けて, 救助を求めた家は1000戸,父母を亡くした孤児の数は120人以上に達した。 これらの人々に米を支給し 病人への薬代や医療費などを与え,孤児たちには保育の世話をした。 感恩講では天保4〜5年に 延べ413万人に対して施米をしている。
天保元年には土崎感恩講が発足。明治期までに秋田県内の感恩講(秋田感恩講とは別組織)の数は18ヶ所。
その中で 那波が創設した秋田感恩講が救済した人員は,明治42年の時点で 延べ403万余に及ぶ。 (「那波祐生と感恩講」(by たふらんけさん)より抜粋)
この場所には 1976(昭和51)年まで 感恩講の建物が残っていた,文字通りの発祥の地である。 | ||
撮影日
| 2008年10月 (写真提供 T.H.さん) | ||
碑文
| 感恩講発祥之地 | ||
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移転先 https://840.gnpp.jp/kan-onko/