発祥の地bannar
大日本史完成之地
 [だいにほんしかんせいのち]


場所
茨城県水戸市常磐町1丁目
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水戸の偕楽園に 南の千波湖側から上ってくる, つづら折れの坂道の途中(偕楽園の柵の外)に, あまり広くない空間があって, ここに「大日本史完成之地」の石碑と 副碑(説明板)が 並んで建っている。

「大日本史」は, 中国の「史記」に匹敵するような歴史書を日本にも作ることを目的に, 水戸藩第2代藩主である徳川光圀が, 1657(明暦2)年に編纂を開始した 大事業である。 完成したのは 250年後の 1906(明治39)年のことで, 水戸家第13代当主・徳川圀順 の時。
編纂の作業は, 最初 江戸の水戸藩邸(駒込)で行われたが, 光圀が水戸に隠居してからは 水戸市三の丸の「彰考館」で行われ, 明治維新後は 偕楽園南隅のこの地に移って 完成させた。
三の丸・彰考館跡には「大日本史編纂の地」という碑が建っている。

「大日本史」は 「本紀」「列伝」「志」「表」の4部, 合計 397巻226冊からなる。 神武天皇から後小松天皇までの 100代の天皇とその治世を著した歴史書。
専門家以外は その中身を見ることもないが, 尊皇論で貫かれた内容は, 幕末の思想に大きな影響を与え, また 歴代天皇が現在のもの改められにも 少なからぬ影響力があったとされる。
なお, 大日本史の原本は こちらで画像を見ることができる。



「完成の地」は新コレクションには入れないこととした

撮影日
2007年2月
碑文
大日本史完成之地

大日本史は, 明暦三年水戸第二代藩主徳川 光圀卿が編纂に着手されてから歴代の藩主 がその遺志を継承され実に二百五十年を経て 圀順公のときに至り, 明治三十九年この地で 三百九十七巻の完成をみたのである。

大日本史完成之地碑
 大日本史完成之地碑
と 説明板