JR 新橋駅の東 400m。汐留シオサイトの超高層ビル群の一つ “カレッタ汐留”と道路を挟んで
向い側に 銀座郵便局があり, その前に 写真の石碑が建っている。
この写真を撮影したのは 今から3年前になるが, 当時は シオサイトのビル群の建築工事中で,
西部の開拓地のように どこもかしこも工事中。道路も“道路予定地”のようで, 特に
歩行者の歩く場所ではなかった。そんな所を歩いていて 偶然 この石碑を発見した。
その後 この碑を見ていないが, 周囲の変貌が激しいので 多少様子が変わっている
かもしれない。(2006/4記)
東京〜横浜間で電信(電報)が使われたのは 1869(明治2)年のことで,
それ以来 国内に電信網が整備され始めた。
碑文には あまり詳しい事情は書かれていないが, 通信の器材は ほとんどが輸入に
頼ったと思われる。想像するに 器材の品質の悪さに悩まされたのではないだろうか。
購入物品の受入検査が行われることになり, まず「碍子試験所」が設けられ
電柱に載せる碍子の検査が行われた と思われる。