![]() 都々逸発祥之地 [どどいつはっしょうのち] 発祥の地コレクションは、新サイト https://840.gnpp.jp に移行作業中です。 | |||
場所 |
| ||
コメント |
名古屋市営地下鉄・伝馬町駅の南東 200mのところに「姥堂」という鉄筋コンクリートの堂があり,
そこに「裁断橋跡」と「都々逸発祥の地」の碑が並んで建っている。
「都々逸」は, 七七七五 を定型とする短詩。五七七七五 という形式をとることもある。 裁断橋は, かつて精進川に架かっていた橋で 1993年に修復されたものだが, 都々逸とは 直接の関係はない。説明板には次のように書かれている。
裁断橋
文献では永正六年(1509)『熱田講式』に名が見られるの が初見とされている。姥堂のすぐ東に精進川が流れていて, そこ に架けられていたが大正十五年に川が埋立られ, 橋の擬宝珠四基 は残されて道路脇に保存されてきた。大正十五年出版の『橋と塔』 浜田青陵により全国的に存在が知られ, 母が子を思う擬宝珠の仮 名書き銘文が多くの人々の感動を呼び有名になった。 昭和二十八年三月地元伝馬町の人々の尽力により姥堂地内に擬 宝珠四基が移設保存され, 後には小学校の教科書に堀尾金助の母 の銘文が取り上げられもした。しかし, 青銅の擬宝珠の腐食が進 み損耗のおそれが甚しくなったので平成四年三月に名古屋市当局が この場所より撤収した。 圓福寺では, 金助の母が 「後の世のまた後まで」と 願った思い, 子を思う煩悩 を昇華して万人の為に尽く す行為に替えた菩提心を後 代に伝える為に, 母の銘文 の拓本を取り平成五年五月 此処に架設した。 | ||
撮影日
| 2006年12月 (写真提供 T.K.さん) | ||
碑文
| 都々逸発祥之地
|
![]() |
![]() | 都々逸発祥之地
|
![]() | 裁断橋址 碑
|
移転先 http://840.gnpp.jp/dodoiz/