発祥の地bannar
富良野平原開拓発祥之地
 [かみふらのへいげんかいたくはっしょうのち] 


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場所
北海道上富良野町西2線北
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JR富良野線の上富良野駅の北 1.3km。 上富良野駅からJR線路沿いに北上し,“西3線”という道路に入り 踏切を越えると, 右側の畑の中に「富良野平原開拓発祥之地」と書かれた塔状の碑(看板)が目に入る。 周囲は一面の畑で, 写真を撮るためには あぜ道伝いに近づくしかない。
発祥碑の隣に「憩の楡」と刻まれた小型の石碑が建っている。

富良野は北海道でも最も内陸部にあり, 交通路が整備されなかったため 入植されたのは遅かった。
1897(明治30)年, 三重県人 田中常次郎の率いる8名が 開拓のため富良野の原野に入った。 樹木が少ないススキの原野で, 一本のニレの木があり 一行はここで野宿した。 やがて 100戸前後の入植者が入り, 富良野原野の開拓の手掛かりを作った。
これを記念して ニレの木は「憩の楡」と呼ばれるようになり 富良野開拓の象徴となっていたが, 昭和30年ごろに台風で倒れ 今はない。

1926(大正15)年, 東の十勝岳の噴火による泥流が上富良野一帯を覆い尽くし, 100名を超える犠牲者が出た。この事件を扱った 三浦綾子の小説『泥流地帯』の文学碑が 近くの草分神社にある。

  憩の楡

維持明治三十年四月十二日三重県人田中常次 郎氏ヲ団体長トスル氏外八名ハ本道開拓ヲ志 シ人跡未踏ノ此地ニ到リ具ニ踏査日没ニ至ル 偶々此処ニ楡ノ一樹アリ一夜其ノ木ノ下ニ明 カシ爰ニ永住ノ計ヲ樹テラル即チ沿線発祥ノ 地ニシテ今ヤ開村五十年ヲ閲ス茲ニ先駆者諸 氏ノ功労ヲ記念シ碑ヲ建テテ後昆ニ伝フ矣

  昭和21年4月12日建立
        上富良野村長 金子 浩
        仝 農業会長 田中 勝次郎




 上富良野町指定文化財
種別    史跡
名勝    憩の楡
指定年月日 昭和55年2月26日
指定の理由
  明治30年4月, 未開の地であったが富良野原野に初めて
  三重県から上富良野草分地区に団体移住し, 開拓の鍬を下した。
  そのときに, 田中常次郎外8名の先発隊が, 一本の楡の木の
  下で一夜を過したが, これを記念して「憩の楡」と刻ま
  れた石碑を建て当時をしのんでいる。
撮影日
2006年5月
碑文
富良野平原開拓発祥之地
      明治30年4月12日入植
        昭和48年11月建立
富良野平原開拓発祥之地 憩の楡碑
富良野平原開拓発祥之地 碑
憩の楡 碑

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