戻る 【伊能大図】へのコメント集   [2005-5-10] 


『伊能大図』に多数のコメントをいただき, ありがとうございました。
その中から 一部を紹介させていただきます。
  (文章を短くするなど, 適当に編集してあります。)

【 S さんから 】
お久し振りです。この頃“はまだより”が来ないな〜と気にして おりました。懐かしさと嬉しさでうきうきしています。
何時も 思いがけないテーマを拝見して、改めて再認識している次第です。 次回も楽しみにしていますよ。

【 K さんから 】
長期に渡る写真紀行、そのご努力に敬意を表します。
私もいつか これまでの旅物語を、写真中心に書き直してHPに纏めたいとは 思っていますが、努力と力不足で何も出来ていません。
ゆっくりと観賞させて頂きます。

【 H さんから 】
 「伊能大図」拝見しました。
 ここまで纏められた根気と労力には感服しました。
 伊能大図については NHKの番組等マスコミの情報で断片的には目にして いましたが、今まで知らなかったことも教えていただき 感謝しています。

2003/11 から 約1年半。長い間お休みしておりました。 一部の方にはご心配をおかけしたかもしれませんが, 特に理由があったわけではなく, 掲載間隔が 2ヵ月→3ヵ月 とのびるにつれて, だんだん さぼりぐせがついてしまったためです。
これからも 何とか継続してきたいと思っていますので よろしくお願いします。
・・・などと言っても いつまで続くのかあまり自信はありません。
【 O さんから 】
205年前の伊能忠敬氏が身近に思えるのは 多分北海道を歩いた人でもあったからでしょうが、 私が子どもの時分にはそうだったとは はっきり記憶しておりません、 ゆえに 今後ゆっくりと足跡を知る機会に出会うべく 時々小川さんのこのページのぞいてみます。有難うございます。

【 S さんから 】
まいまいず井戸だとか 楽しいことを沢山教えて頂きましたが, 何故か後が続かず淋しい限りでした。
この度 伊能大図を引っさげて復活されたことは 無上の喜びです。

伊能大図も概念としては勿論知っていましたが、ここまで詳細な知識は今回が初めてです。 幕張で公開されたことを知らずにいたのは惜しいことをしました。

あなたのホームページには非常に細やかな観察があり 一コマ一コマに大変な手間を かけられていることに感動します。何度読み返しても飽きない不思議な力を持ってい ます。これから先が期待されて全く欣快の至りです。


【 N さんから 】
暫く新しいご連絡をいただかなかったので、心配していましたが、 「伊能大図」をお送りいただき、お元気に活躍の様子、安心しました。
残念ながら、「伊能大図」展を知らず、観損なってしまいました。 数年前に上野の国立博物館で伊能忠敬の地図展を観た記憶があります。 でもアメリカに全図があったとは知りませんでした。 貴重な資料、どうも有難うございました。今後も宜しく!

【 I さんから 】
伊能忠敬 テレビ等で名前は知っていたが 物凄く意思が強く これほど立派な仕事を成し遂げた事に敬服します。
当時この功績を評価することなく埋蔵させたことに腹立たしさを感じます。
申しおくれましたが 毎回楽しい奇抜なお便りありがとうございます。

【 S さんから 】
ご案内ありがとうございました。拝読させていただき、伊能忠敬 が55歳からこの偉業をなしえたことに驚くとともに、勇気をい ただいた気分です。
そして、小川さんが再び歩みはじめられたことに エールを送らさせていただきます!

【 M さんから 】
はまだより、再開おめでとうございます。
伊能忠敬展、私も神戸で開催時に行きました。 そのときは海保の分がまだ未発見でしたが。 すごく詳しい内容の地図がたくさんあって、びっくりしました。
自分の知っている地域の地図を 興奮して、かぶりつきで見ていたら、 係りの人に注意されたぐらいです! (昔の地名が面白くてつい・・・)
本当にすごい人ですね、伊能忠敬さん・・・
また面白いお話楽しみにしています。

【 K さんから 】
『伊能大図』見ました。
昨年、大学の公開講座の一環で 伊能忠敬について展示などがありましたが、 時間に余裕がなかったので 参加や見学が出来ませんでした。 この『伊能大図』を読み、悔やんでいるところです。

【 O さんから 】
小生、毎日ほぼ4キロの道を散歩していますが、毎回万歩計の数値が相当異なっています。 訓練したのでしょうが、一定の歩幅を確保して計測するということは生易しいことではなく、 よく地図が描けたものだと思います。

【 F さんから 】
「はまだより」再開のお知らせをありがとうございます。
「伊能大図」を興味をもって読みました。伊能忠敬の業績の偉大さを思ったり、 アメリカに三分の二もの原図が保管されていたとは、有難いと思う反面、 口悔しいことだなと複雑です。
忠敬記念碑が鳴門にあるとは知らなかったので、見に行こうと思っています。

【 G さんから 】
久しぶりの はまだより 楽しく拝見しました。
伊能忠敬は 49歳を過ぎて天文学、暦学を学び、 しかもはじめは自己資金で測量旅行をやったとありますが その知識と実行力にはただ驚くばかりです、
214面からの大図を完成したのに 幕府は積極的に活用した様子がないと ありますが その値打ち、活用術を知る有能な人間が幕府にはいなかったのでは などと考えたりします。
・・・有難う御座いました・・・。

【 T さんから 】
全図が揃ったのがつい昨年のこととは知りませんでした。驚きでした。
また歩幅が69cmというのはショックでしたネ。私はゴルフをするので、 自分の歩幅を利用していますが、64cmです。 彼の方が背丈は低かった(5尺チョット?)と記憶していたのだが・・。

【 M さんから 】
今年1月にこの様な催しがあったとは知りませんでした。 私も行って見たかったですね。
いつも興味深いお話をありがとうございます。

【 O さんから 】
久しぶりですね。 引き続き今後も力作を期待しております。
伊能大図が体育館のような広いスペースに敷きつめられている 光景は見事なものでしょうね。
私は忠敬の展覧会を2度見ています。 1回目は1998年、 江戸東京博物館で開催された「伊能忠敬展」で、 英国から137年ぶりに里帰りした伊能図が中心でした。
2回目は2003年に東京国立博物館での「伊能忠敬と日本図」展で、 平成館のフロアーに敷きつめられた伊能図(日本全体の一部ですが)の 上を歩き回る事ができました。 いずれもその正確さと美しさに打たれました。

ところで、忠敬は何故これほどの大事業に50歳を過ぎて取り組ん だのでしょうか。 多分、最初は高橋至時にそそのかされ(?)、 自分の学問的好奇心もあって 私財をなげうってボランティアとして始めたものが、 そのうち幕府の直轄事業となったため、全国の地図完成に向けての義務感が 自ずとわいてきたのではないでしょうか。
それにしても、折角の地図は幕府の役人には余り活用されず、 シーボルトによってヨーロッパに紹介されて初めてその真価が認められたのは皮肉でした。

なお、忠敬の歩幅については 佐久間達夫氏の説によれば約69cmとのことです。


伊能忠敬展は あちこちで 何回も開かれているようで, 見た方も かなりいらっしゃる様子です。
「伊能ウォーク」というイベントもありました。
今回の「里帰りフロア展」は, 釧路・仙台・千葉・名古屋・神戸・鹿児島などなど, 十数か所で開催されたようです。Kさんが見損なったという 武蔵大学の展示も この展示会の 一環だったようです。
毎回大勢の人を集めるほど, 伊能忠敬の人気は高いのでしょう。

歩幅の件は, 展示会場での係員の説明で 65cmと聞いたように覚えていたのですが, 私の記憶違いだったようで, 調べてみると 確かに 69cm が正解のようです。
ご指摘 ありがとうございました。本文を修正しました。

【 O さんから 】
「はまだより」再開、嬉しく思います。やはり、好奇心と、 それに押されて歩き記録し纏めあげる、このプロセスが間違いなく 老化防止の良薬になるかと思います。
伊能大図の紹介、有り難うございました。 それにしても、楽隠居もせず 55歳から 17年もかけて 10回に渡る測量を行い、 離島も含め 日本列島全部の地図を完成させた エネルギーと体力・気力に、 ただただ驚くばかりです。 200年前の道路交通事情や測量技術・ツールのレベルを想像すると、 まさに巨人といえます。大先輩として誇りに思います。

214枚の地図に おらが村やおらが町を見つけた人は、そこに伊能忠敬の足跡を想像し、 偉大な巨人に親しみを覚えたものと思います。 リタイアした人は、背中を押される思いがしただろうと想像します。

ところで気になる数字が 1点あります。総歩行距離 2800万キロです。 これは、165万キロ/年、365日歩きづくめで 4,500キロ/日となります。 2800万キロではなく、2.8万キロですよね。


4000万歩 ⇒ 2800万キロ は とんだ“誤算”でした。“キロ”ではなく“メートル”, つまり 2800万メートル = 2万8000キロ です。
これも ご指摘をいただいて本文を修正しておきました。 ミスが多くて お恥ずかしいことです。
【 S さんから 】
「はまだより」再開のお知らせありがとうございます。
伊能大図の上を歩けるとは粋な企画ですね。 江戸東京博物館でも床に 江戸-東京重ね地図が貼ってあって楽しめました。

【 M さんから 】
さっそく「伊能大図」見せていただきました。
「アメリカ伊能大図里帰りフロア展」というのがあったんですか。 知っていたら行きたかった・・・。無念・・・。

アメリカにあった写しや、海上保安庁にあった写しは、どういうルート、 由来の物なのか興味あります。たいへん知りたい!
この地図、仕舞い込まれて一般流通しなかったのは、 幕府の防衛政策上からでしょうね、おそらく。外国に渡っても困るし、 国内の勤皇諸勢力に利用されても困るように思ったのでは。
ただ、地図の愛好家(? 何に使っていたのかは解りませんが)は、いっぱいいたようで、 最近、伊能測量隊の少し前、宝暦頃から寛政頃の造り酒屋の隠居で素人本草学者の 木村蒹葭堂という人発信の手紙と この人宛の手紙を読んでいたのですが、 「地図を貸してくれ」とか、「借りてた地図返すよ」というのが、かなり頻繁に出てきます。
大田蜀山人(南畝)が「蒹葭堂さん、ご自身で出版した「日本小図」ってのはないの?」 という問い合わせもあります。 「カラフト島の図は、私の手元から流布したことが解っちゃマズイ」と書いた人も。 日本地図やカラフトの地図で何するつもりだったのか、知りたいところではありますが、 おそらく、こういう種族(大名も含めて)からコピーが流れ出て行くんでしょうね。
実は、讃岐の住人で、伊能測量隊の四国調査に協力した、久米通賢という人がいまして、 刀の鍔に仕込んだ拳銃や バネ仕掛けの扇風機など、妙な発明をしています。 讃岐坂出の塩田開拓を自前でやったエライ人でもあるんですが、 「日本の形を詳しく知りたい」と思う人が出てきたり、18世紀後半から19世紀の中頃は、 何となく、「知的好奇心」というのが膨張していった時代だったのではないか、 とも思えます。

面白い企画、愉しめましたし、いろいろ考えました。
でも、正直、この地図見たかった、残念・・・・。


ご参考
下の図は 2004年春時点での, 伊能大図の発見状況です。黒く塗りつぶした4枚が 昨年夏に 海上保安庁で発見された「最後の4枚」です。
これを見ると, 大図は日本全国を隈なく網羅してはおらず, 内陸部は 伊能が歩いた道を除いて 空白になっているのがわかります。
(財)地図日本地図センターのパンフレットより。
伊能大図(複製)は 同センターから 1枚 54,000円 (1/2の縮小版は 31,000円)で販売されている。

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