戻る 【円筒分水】へのコメント集   [2005-8-15] 


『円筒分水』に多数の方からコメントをいただきました。ありがとうございました。
その中から 一部を紹介させていただきます。
  (全部を掲載すると とても長くなるので 一部のみです。ご了承ください。)
  (文章を短くするなど, 適当に編集してあります。)

【S さんから 】
一昨年末浅草に引っ越してくる前は この分水の直ぐ近くに住んでいましたので 「これはこれは」というところです。
用水の傍には 要領よく由来を記した立看板がありますが 詳しい事情は今日始めて知りました。大変愉快です。

【H さんから 】
毎回の「はまだより」を楽しく見ています。
円筒分水は私の所から歩いて約1時間の所にあり、 散歩コースの一つで 年3〜4回程度行っています。

【S さんから 】
農業用水に関しては目新しい事項ではありませんが、 「円筒分水」なる英知の極みが存在している事を知り、驚嘆しています。
それも全国に広く分布しているのですね。
噴水かしら、と見過ごしてしまいそうですが、 多摩川あたりを訪ねた折に探してみます。

【M さんから 】
奥沢に住んでおります。
多摩川を散歩するの好きでよく歩いています。 先日は丸子橋の下で子供と釣りをしていましたが 手長海老がたくさんつれてびっくりしました。
今度は私も「円筒分水」を探しに 多摩川散策にでも出かけよう思います。

ややローカルな話題だったせいか, 今回は 川崎(周辺)に住んでいる(いた)方 からのコメントが多かったようです。
私も 40年近く 川崎市に通勤して, 円筒分水の存在は何となく知っていたのに, 実際に行ってみたのは 今年になってからです。
近くにあると“いつでも行けるから”と思って, なかなか自分の目で見ることがないものです。
【T さんから 】
現場を見てきました。
昔の分量樋の写真と今も残る円筒分水を比較してただただ感心して帰りました。
後で気がついたのは、平賀栄治事務所長が どういう発想で円筒分水を考えられたのか、 その実施について役所固有の体質で反対されなかったのか、 そしてこのような画期的設計(後智恵では当たり前)に対し 農林省や地方自治体が どの様な顕彰をしたのか、などです。

昭和16年当時, 既に“円筒分水”というものは 存在していたようですが, 平賀氏の円筒分水は「複数の円筒を同心円状に重ねて 噴出する水を静水化し, 外周から静かに溢れる水を作る」ことに特徴があり, 『平賀式円筒分水装置』と 呼ばれているそうです。

平賀栄治という人は, 円筒分水のほか 二ヶ領用水の2つの取水口の堰堤の設計もしています。
話は飛びますが, 1974(昭和49)年に 台風15号によって多摩川が増水し, 東京・狛江付近の堤防が決壊して 19戸の民家が流された いわゆる「多摩川大水害」がありました。 (TVドラマ「岸辺のアルバム」で有名)
この時 応急処置として, 現場の「宿河原堰堤」を爆破して, 水の流れを変えることで 被害の拡大を抑えることができましたが, この堰堤が 二ヶ領用水の取入口の一つです。
この災害当時 堰堤の設計者である平賀氏は 82歳で, 水害の原因が「宿河原堰堤の設計ミス」であるとされたことに激怒した, という話が残っています。

【S さんから 】
昔の人は素晴らしい頭脳を持っていたのですね、このような仕組 みは工業社会でも十分活用できる技術のように思います。
それにしても この円筒分水が今に残され、それを見つけ出した 小川さんの努力もたいしたものだな!と感心しています。

【N さんから 】
何時も興味のある話題ありがとうございます。
いつの時代も、問題を積極的に解決しようと言う人がいるものですね。 この円筒分水の考え方、何か他にも応用できそうな気がします。

【K さんから 】
今回のもの以外にも 古い日本人が設計・構築したものを 見ると 日本人の知恵は素晴らしいものばかりですね。
今の企業はスピード(利益)優先ですが、人間のスピードは そう簡単には変わらないと考えます。もう少しゆっくりと出 来る環境ができれば、もしかしたら「古い日本人のDNAが もう一度、開花するのでは?」と思うのは私だけでしょうか?

【M さんから 】
水理計算と水関係の設計の仕事を三十年もして居ます。
円筒分水は 話には聞いていましたが見た事はなく、とても勉強になりました。

【N さんから 】
またまたびっくりしました。
埼玉の稲作農家出身ですので、水争いの激しさは聞いておりましたが、 分水樋や円筒分水のような設備は初耳です。
円筒分水など幾何学的美しさを感じます。
先人の知恵には、素晴らしいものがありますね。

【M さんから 】
円筒分水のお話を拝読しました、
農業用水の配分にこのように立派な設計を考えられた人々のお陰で 現在の農業経営の有る事に、農家育ちの私は 円筒分水のお話を感心して 読ませていただきました。

【K さんから 】
夏休み中、家の中が賑やかで更に暑さを感じる中、涼しげな水の題に しばしの息抜きを見出しました。
「水争い」「我田引水」の言葉があるように、 昔は農業に従事するものにとって水の存在は死活問題だったと思います。
かって京都の南禅寺を訪れた折、琵琶湖疏水が境内を横切って流れるのを見ましたが、 究極的に民に平等にゆきわたったのでしょうか。
この円筒分水は人々に公平感を与えると同時に政治<お上のすること>に 信頼感をも持たせる画期的な機構だと思います。
色々な事を考えるきっかけを与えて下さった題材でした。有難うございました。

【H さんから 】
 平面図、縦断図で円筒分水の機構と機能が良く分かり 素晴らしいアイデアであるのが良く理解でき感心しました。
現在でもこの円筒分水が実際に利用されているのは驚きです。
 円筒分水の画像で全体の様子が撮影されていたらもっと良かったと思いました。
 実物を見学してみたくなりました。

》全体の様子が撮影されていたらもっと良かった・・・

多分 そういう意見が出るだろうと覚悟していました。
現場に行ったことがある方はお判りでしょうが, この円筒分水の周囲は 金網で囲われていて, どこから撮っても「金網越しの写真」になってしまうのです。 やむを得ず 金網のすき間にカメラを突っ込んで撮ったわけですが, 今度は 被写体が近すぎて ごく部分的にしか撮れない...

白状しますと, 本文に掲載した写真は 3枚の写真を合成したもです。 注意して見ると 水面に映る背景が 不自然になった部分があります。
全景を写すためには クレーン作業車でも借りないと....

【Y さんから 】
なるほど、勉強になります。
山梨にある三分一湧水を思い出しました。
この暑い時期、水の話題はいいですね。

【K さんから 】
「円形分水」のお話をありがとうございました。
この分水は我が家の近くなので、そのうち見に行こう、行こうと 思っているうちに時が経っています。写真では川崎市内のいろい ろなパンフレットで見てはいますが・・・
 当該「円形分水」はお書きになっているように、大変合理的な 機構と思います。

 私が同様の物で知っているのは、「三分一湧水」です。
     http://www.jalan.net/kanko/SPT_162021.html
 ここは何度も見ていますが、ご紹介頂いた「円形分水」よりは 分水の正確性に欠けると思います。でも武田信玄の時代の機構で すからそれはそれで画期的だったのでしょう。

 もう一つ分水を公平にという発想の機構が、温泉の湯元の湯を 各旅館に分けるものがあります。
源泉を大きな樽に落とし、V字型に折ったブリキ板をその縁に沿って差し込むように設置し、 そこから流れ出す湯を旅館に送るのです。 支払額の大きい旅館ほどV型が大きくしてあるそうです。

「三分一湧水」(さんぶいちゆうすい)は, 残念ながら あまり詳しい構造が分からないのですが, 数m四方の浅い池に豊富な水が湧きだしていて, これを 3方向の水路に等分に分けるために, 池の中央附近に三角形の石柱を置いて, 水の流れが均等になるように調整している, というものだそうです。
何百年も前に作られたもので, 現代の目で見ると あまり高度な技術とは思えませんが, 当時としては 画期的だったのでしょうね。

【O さんから 】
興味深く拝見しました。
円筒(円形)分水の起源がどこまでさかのぼれるか、 Googleで検索してみました。その結果、年代が明らかなもので古いのは、
  • 丸分木(兵庫県南あわじ市:昭和7年頃)、
  • 西天竜用水四ケ堰円筒分水工(長野県塩尻市:昭和9年)、
  • 音無井路12号円形分水(大分県竹田市:昭和9年)
であることが分かりました。
なお、初期の円筒分水は一重の円筒で、筒の上部に四角い穴が多数開いており、 そこから水が噴き出す構造になっていますが、穴にゴミがたまりやすく手入れが大変 なので、二ケ領用水のように改良されたものと思われます。

【T さんから 】
いつも こんな所があったのかと、思いがけない発見に驚いたり、 感心したりで勉強になります。円形分水にも感心しました。
これからも小川さんの幅広い渉猟、期待しています。

群馬県に住む Oさんから,「長野堰」円筒分水の写真を送ってもらいました。 場所は 群馬県高崎市江木町付近。二ヶ領用水の久地円筒分水と ほとんど同じ構造ですが, 大きさは 外周が8メートルほど。久地のものの半分程度の大きさです。 40数年前(1962)に造られた, 比較的新しい設備です。

傍に建てられた説明板には 次のように書かれていました。

  円筒分水堰のしくみ
<概要>
 長野堰は, 群馬県榛名町大字本郷内の利根川水系烏川より取水する頭首工を起点とし, 受益面積約1,000ha, 取水量最大6,797立米/s, 幹線水路は, 頭首工より円筒分水堰 まで約8km, かんがい用水として利用される他市街地全域の防火用水, 環境美化用水等に 寄与しています。
 この円筒分水堰は, 1962年に県幹線水路改修事業の一環として設置された配水施設で, 自然落差を利用して, 地獄堰,上中居堰,矢中堰,倉賀野堰の4堰に正確に受益配分される よう設計された, 全国でも珍しい分水施設です。かつて水利の乏しい地区では, 干ばつのたびに激しい, 水争いが起きましたが 円筒分水堰が設置されてからは, 争いは落着しました。 地獄堰の名は, はげしい水争いの名残でしょうか。
  (以下略)          2004年3月


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