戻る
【矢切の渡し】へのコメント      [2002-7-18]    [2002-8-9] 追加


『矢切の渡し』に 多数のコメントをいただき, ありがとうございました。
いただいたメールの中から 一部を紹介させていただきます。
「40年前」とか「50年前」などという言葉がでてきますが, 今回は シニア年代の方からの コメントが多かったのが特徴です。

  (長い文章は 適当に短くするなど, 勝手に編集させてもらっています。 あしからず。)

【Aさんから 】

矢切の渡しが未だに在るとは知りませんでした。
船に乗る人は、乗る事が目的で、生活の足にはなっていないのでしょうか。
次のはまだよりを楽しみにしています。

【Sさんから 】

カラオケでは以前よく歌った曲ですが、さすがにこの地を訪ねたことはありません。
今でも渡しがあるなんて思ってもいませんでした、あったとしても名残の碑か何か
があって、昔をしのぶのみなのかと、思い込んでいました。認識を新たにしたというか、
常識を呼び覚ましてもらったと言うか、何時も勉強になります。

【Mさんから 】

今回のテーマの土地にゆかりがあるという3つについて、
  「矢切の渡し」の歌は知っているが、
  「寅さん」を観たことがないのと、
  「野菊の墓」を読んだことがないのとで、
書いてもらった情報のみが、この土地についてのイメージですが
まさか、渡し船が今でも運航しているとは大変な驚きでした。

観光客と実用利用客との割合は測りかねますが、
代々のお仕事の継承のため続けているのであろう、杉浦さんについての
お話もまた、味わい深いですよね。

これからは「矢切の渡し」の歌を耳にするたびに
このお話を知ったかぶりしてするかも。(笑)

【Kさんから 】

最近は氷川きよしの歌の上手さに感心し、彼が自身の持ち歌以外に歌う
「夜霧よ今夜も有難う」にしびれています。
「矢切の渡し」も大好きな曲ですが、この歌を聴くまではその渡しの
存在すら知りませんでした。

曲の感じから江戸時代に関東地方にあったものか、作詞者の作つた架空の
ものと思っていました。
その後現在も存在することを知り、今回の はまだより で[全貌」が分り納得です。
今も必要から脈々と「渡し」が生き続けているのでしょう。

脆い架設の橋より 水量を計りながらの渡し舟は賢明な方法に思われます。
ただ、船頭さんは多くの人命を預かりさぞかし緊張することでしょう。
それにしても矢切の渡しをこれほど有名にした細川たかしの声質、歌唱力、
作曲の力にはただただ感服です。聴く度に歌の中に自分を置いて陶酔しています。
  楽しいレポートを有難う御座いました。

もしかすると 関西には, 矢切の渡しが 実在する渡し船だということを 知らない人もいるかもしれない と思っていたので, 根っからの関西人 Mさんが知らないのは やむを得ないとして,東京近辺に長くに住む人でも 知らない人がいるんですね。

実在すると知っていても, 実際に行ってみようとは なかなか思わないもので, 私も 長い間気にしながら 今回初めて行ったわけです。 素朴で あまり俗っぽくないところが とてもいいと思いました。
機会があったら ぜひ一度体験することをお勧めします。

利用する人の目的ですが, 近くに住む人が“ちょっと川の向こうまで用足しに...” と乗る可能性は ゼロではないにしても, ほとんど 99%は 観光用になっていると思います。
それにしても, あまり儲かるとは思えない渡し船を 長い間続けているのは 大変なことです。

【Nさんから 】

今回も、私も行って見たくなる様な、風情が伝わってくるルポでした。
何時も思うのですが、日本は斯様な古来の雰囲気を 点でしか残さないのでしょう。
エセ欧風の建物や電柱を ルポ写真で目立たない様にするだけでも大変でしたでしょう

【Uさんから 】

「矢切の渡し」という言葉に懐かしさを覚えました。
フーテンの寅もいいし、伊藤左千夫の野菊の墓もいいですね。
「民さんが野菊」 まさに幼い二人の愛の契りの渡しの舞台ですね。
江戸川の土手からの眺めは本当に何も無くて広いという印象で、のどかな
風景だと思います。
それにしても、渡し場の看板から話が展開していく 楽しいエッセです。

船の乗り降りに 船頭さんの無愛想を嘆いていましたが、寅さんならなんと言う
でしょうね。『結構ケだらけ猫はいだらけ。舟に乗るには言葉は いらない。
100円あればけっこう結構』
たまに乗る客にとって挨拶も欲しいところでしょうが、毎日舟をこいでる船頭
さんの身になれば 面倒臭いというところでしょうか。
それとも江戸の人情は江戸川に捨てたのでしょうか。
『舟のお客は100円払えば観光気分。櫓をこぐ船頭は農民渡船気分』

【Nさんから 】

いやー 矢切の渡しは懐かしいです。
昔「寅さん」の映画に出てくる景色が無性に見たくなった時がありまして
一度訪ねた思い出があります。帝釈天から土手にでて、、、、、
学生時代ですので、もうかれこれ30年近く前になります。

【Gさんから 】

細川たかしの矢切の渡しはとても好きな歌なので ロマンチックな気分で読みました,
10年ぐらい前に 新宿から はとバスで柴又帝釈天にお参りしたことがあります、
その際 江戸川の土手があり 其処を上がれば矢切の渡しでしたが, バスのコースには
なく 見ることが出来ませんでした,今でも残念に思います。

対岸は松戸だと言うことですが、50年程前私の洋服を作ってくれた人が松戸の人でした。
はまだよりの解説と写真から 矢切の渡しのイメージが鮮明に浮かんできます。
有難う御座いました。

【Oさんから 】

私も4月28日に下町バス旅行で、帝釈天に行きました。
矢切りの渡しも行きました。寅さんの世界を一寸垣間見ました。
時間が無く、船に乗れませんでしたが、まあ雰囲気だけは味わえたと思って
いたのですが、この記事で もっと深く味わうことができました。

【Nさんから 】

また懐かしい写真を見せていただきました。
暫く行っていませんが、昔、まだ北総鉄道が開通していない頃には、
よく遊びに行きました。
松で有名な善養寺から江戸川の土手伝いに歩いたこともあります。
ただ渡し舟には乗ったことがありません。乗りたくなりました。
次は何処ですか? 楽しみです。

【Oさんから 】

「矢切の渡し」、懐かしく拝見しました。
私どもは、96年5月に行っております。
柴又帝釈天から 広々とした江戸川河川敷の柴又公園を通り抜け、矢切の渡しを
舟で往復し、柴又に戻ってきました。

当時のアルバムをめくってみましたが、柴又側の船着場にはボランティアの
おじさんがいて、色々説明してくれたことを思い出しました。 また、掲示板
らしものはほとんどなかったように覚えています (船頭さんは無愛想でしたが)。

細川たかしの唄ではないですが、若い人のデートコースとしても楽しいところですね。

矢切のわらじ
私が行った時には ボランティアはいませんでしたが, 5センチぐらいの 小さな"わらじ"を作りながら 売っているおじさんがいました。
いろんな商売があるものです。
貼り紙に曰く・・・

【Mさんから 】

何時も有難う御座います、今度は何を拝見できるかなァ?と心待ちに致して
おる今日です、
この度は矢切の渡し、何となく古き良き時代ののんびりとした春の一日を
私は連想しながら渡し舟の写真を見ております、
余談になりますが 私の家のお墓は松戸市の八柱霊園に在りますので 今度
お墓参りの折にでも 帝釈天や渡し場なぞを見てきたいと思っております。

【Oさんから 】

久々に懐かしい場所を、思い出しました。
高校時代は、年1回土手沿いにマラソン大会がありました。
40数年も、前のことなのに、昨日のことのように、思い出されます。
私の覚えている船頭さんは、歌の文句にある、“村の渡しの船頭さんは、
今年・・・”だったように思います。
本当に懐かしいものを有り難うございました。近いのに、行くことも
まずないでしょうから。

次回のホームページも楽しみにしております。

【Mさんから 】

私の故郷、千葉県の成田に印旛沼と言う沼がありまして、そこには
「甚兵衛渡し」がありました。歌舞伎にも出てくる佐倉惣五郎物語の
一舞台でもある渡しですが、当然の事ながら今はもうありません。
沼は昭和30年台に干拓され、渡し場(船付き場)のあった場所は
小さな公園になっています。しかし其処には樹齢3〜4百年になると
思われる老松が数本健在で、近くには うなぎやさんが出来、
結構にぎわっているようです。
  ここ数年行っていませんので、お盆に帰省した時にでも足を向けて
見ようかなどと思いながら、今日も楽しく読ませていただきました。

【Oさんから 】

変わらぬ健脚と健筆、尽きぬ関心に 敬意に近いものを感じさせられます。

矢切の渡しは一度訪れたことがあります。
「はまだより」でも御紹介されている 寅さんでお馴染みの柴又は帝釈天を
訪問したついでに、話のネタにでもと思い訪れたものです。

写真ではそれなりに風情がある場所のようにも見えます。しかし、御感想通り、
な〜んにもない所であり、風情の分からぬ奴と嘲笑されそうですが、何故
歌のテーマになったのか今でも分かりません。
とはいえ、思い入れのある人達には、それなりに風情というか思いを感じさせる
「渡し」なんだと思います。
夏場だったせいか、寅さんの映画に必ず出て来る江戸川の堤防には「氷」の
旗が屋台にひらめいていました。

各藩の首都防衛が目的ですから、「渡し」は全国区の筈ですね。有名なのは
大井川の渡しでしょうか。
そういえば、蒲田の近くに「矢口渡」という駅 (東急多摩川線 = 旧 目蒲線)
があります。訪問したことは有りませんが、おそらく、かっての存在を示す
記念碑とか由緒書が残されている程度ではないでしょうか。

【Mさんから 】

先日、本郷の古本屋を探し探して、「平賀源内全集」を見つけて買い込み、
読みふけっております。「物類品隲」「火浣布略説」とか、やたら難しい
博物学系が一通り終わって 浄瑠璃系に差し掛かり、出てきたのが「神霊矢口渡」。
こちらは、「矢切」ではなくて「矢口」で武蔵野国とか。
どうも今の大田区でしょうか。渡しの跡があるのかないのかわかりません。

しかし、わざわざ乗りにいかれましたか・・・。ははぁーー。
さすが行動力の小川さんです。
とはいうものの、写真では、”物好き”がいっぱい!(失礼を)

「野菊の墓」は大昔読んだ記憶がありますが、中身はもう。
でも、かなり辺鄙な土地のような印象が残っています。牧牛などやっていたような。

【Hさんから 】

健脚による取材と行動力には脱帽です。

わたし(私)はこれまでわたし(渡し)船に乗ったことがありませんが、
渡しはたくさんあるようですね。
Yahooで検索すると、多摩川の渡しの情報がひっかかりましたが、
25ケ所も載っていました。
防衛・費用・技術的な理由により橋を架けなかったのでしょうが、渡しが
たくさんあるということは渡る需要が多かったのでしょう。

大井川は 東海道で一番重要な渡しだったそうですが, ここには 渡し船はなく, 人足に肩車をしてもらう 徒歩(かち)渡しか, 輩台に乗ってかつがれていく 輦台(れんだい)渡し だったようです。

多摩川にはたくさん 渡しの跡があります。
  羽田の渡し, 六郷の渡し, 矢口の渡し, 丸子の渡し, ・・・

これらは いずれ機会をみつけて また"はまだより"に まとめてみたいと思っています。

2002.8.9 追加

【Tさんから 】

  今回は特に馴染み深い「テーマ」です。
主題の矢切の渡しは、私の家(市川)から歩いて一時間足らずで行けます。
長いこと利用していませんが、過去何回か柴又帝釈天に行くのに利用しています。
特に、江戸川べりを彼女と二人で歩いて、渡しで柴又に渡ったことが懐かしく思い出されま
した(今の愚妻はそのときのヒトではありません)。
その当時は、柴又の帝釈天も拝観料は、只でしたし、江戸川の水も本当に澄んでいて驚いた
ほどでした。あれからもう三十数年も経つンだなー(ため息!)。
 ところが、最近、嬉しいことがありました。江戸川の支流に真間川という川があります。
40年ほど前に排水、下水の垂れ流しで、タナゴ、くちぼそ、鮒、うなぎ、はや等々、魚が
豊富であった川が「死の川」となりました。ところが、先日何となく川を見たら魚が戻って
いるではありませんか。しかも魚群がアチコチに。地元の努力でやっと自然が戻ってきたの
です。今回の「はまだより」「魚の復帰」を契機にまた矢切の渡しを, 今度は妻と渡ってみ
ようかと思っています。


戻る