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【雁木】へのコメント   [2002-5-22]   追加 [2005-03-17]  [2005-04-02]


多くの方から『雁木』に コメントをいただき, ありがとうございました。
いただいたメールから 一部を紹介します。

【 Gさんから 】
興味ぶかい話ありがとう! 日本の文化の奥深い課題ですね。 次回も楽しみにしています。

「はまだより」にも 外国の方からコメントをもらえるようになりました。
Gさんは ドイツから日本に来られたとのことですが, 今後もよろしくお願いします。
【 Fさんから 】
味わいのある文章と写真を楽しませていただきました。 雁木とは きわめて日本のローカル色のある風物で雰囲気がありますね。ここ米国で暮らしていますと このような味わいのある風物は少なく, やはり日本は良いところだなとの感を深くします。

【 Iさんから 】
雪国育ちの私にとって「雁木」は雪の辛さを思い出す 懐かしきキーワードです。 最近は 昔程積雪量も多くなく, 雁木の世話になることは少なくなったのではと思います。 本当に毎度々 心を癒す旅情誌ありがとうございます。

【 Mさんから 】
雁木のお話を懐かしく拝見いたしました, 然し私には雁木と言う呼び名は知りませんでした, ただ庇としか覚えておりませんでした, 雪国の晩秋から初冬の期間は, みぞれが降り 道路はびたびたになって とても歩きずらい思いをしました そんなとき 雁木の下を歩くのが嬉しく感じました やがて雪も積もり 街の中では道の両側の屋根の 雪下ろしの回が重なる毎に 道の雪の積もる量も増えてゆき 其のうちに雁木の屋根と同じ高さの雪の 道になってしまい道の所々より 雪の階段を掘って雁木歩道に下りていた昔が想いだされます ---お話有難う御座いました

【 Kさんから 】
雁木のエッセーを読んで, 私の生まれた, 雪深い 秋田湯沢の町を思い出しました。 スキーで有名な越後湯沢よりはるかに雪が深いです。昔は冬ともなれば二階が一階になり, 普段の一階は地下室になります。地下室の囲炉裏のそばは団欒の部屋であると同時に 洗濯物の乾燥室になります。 もっとも今は, 二階に雪が積もらないように 屋根のところで内部の暖房の熱を送る工夫を してある家が普通かも知れません。

今は 雪の捨て場は厳しく規制されているようですが, 昔は 屋根に積もった雪は どんどん道路に落としたようですね。したがって 道路は雪捨て場になり 余計に高く雪が積もることになったのでしょう。
道路が完全に雪に埋まると, 道路の向こう側と連絡するために 道路下には 要所要所にトンネルが掘られた, という話も聞きます。

「屋根に 暖房の熱を送る工夫」というのは いいアイデアですね。
屋根と言えば, 昔の雪国では 家の軒下に 巨大なツララがぶら下がっていたものですが, 最近は その風景が減ってきているように思います。最近の家は 断熱効果がいいために, 屋根に積もった雪が あまり溶けないのかもしれません。

【 Oさんから 】
お久しぶりです。今回も楽しく拝見しました。  >基本的に 雁木の下の歩道部分は 私有地 だという。  >当然 雁木は私費で作られ 歩道の舗装も自前で行う。 雁木の下が私有地だったとは驚きです。なんとふところの深い仕組みですね。 自宅前の無断駐車に怒りをおぼえる私には, 真似できません。

【 Oさんから 】
興味深く拝見しました。 雁木の下の歩道部分は原則的に私有地だということは知りませんでした。 小学館のスーパーニッポニカの「雁木」の項には,  「・・・積雪地方では, 町家の建築は往還境から6尺下がって本屋を建て, これにひさしを設けて,  冬季の通行の安全を図るのが, 近世以来の慣行であった・・・」とあります。 街道の道幅が狭く, また歩道も整備されていない江戸時代の町家の人々のうるわしい相互扶助の精神の 現れだったのですね。 雁木の形は「落とし込み雁木〕が多く, 「作り込み雁木」は少なかったそうですが, これも恐らくは, 屋根の雪が1度に道路に落ちるのを, ワンクッション置いて被害を少なくするための人々の工夫と思われ るのですが, どうでしょうか。 ともあれ, 雪国の暮らしは昔も今も厳しいことに変わりありませんね。

【 Mさんから 】
雁木(おお, がんぎ→変換ででました)って言葉, 初めてです。このHPのおかげで また一つ賢くなりました。 どちらかというと, 一見貧乏臭いアーケードにしか見えない, ”軒下商店街”は, 豪雪地帯の 知恵故だったのですね。 雁木部分が私有地だということは, 道イッパイに, 商品を並べていても, 文句は言えないんですよね? 見た目はイマイチな雁木ですが, 昔の商人の工夫と知恵を尊敬してしまいました。 次のお話を楽しみにしています。

“近世以来の慣行”ですか。おそらく 強力な「行政指導」もあったのでしょうね。
「落とし込み雁木」が多いのは, 屋根からの雪が直接落ちるのを防ぐため, というご意見は なるほどと思います。道路に面して ハシゴが作りつけになっているのを見ても, 生活の知恵がたくさんあったのですね。

”軒下商店街”という表現は 言い得て妙です。
雁木は 昔の人の知恵だったんでしょうが, 今の時代には合わなくなって いることは確かです。 家としてみると, 住み心地のいい家ではない でしょうね。
あちこちで 雁木の復活が計画されているように聞きますが, 当然のことながら いずれも“雁木風アーケード”で, 本物の雁木は もうじき消滅するでしょう。

【 Kさんから 】
静岡で八年, それ以外はずっと東京で暮らしてきた私にとって, 豪雪地帯 での生活は想像しただけで重いものがあります。現在はスプリンクラーや 側溝など生活改善がされて,また温暖化現象もあり ずっと楽になっている のかもしれません。「雁木」という言葉は豪雪に埋もれた雪国と そこの封建 的ではあっても 古き良き時代を思いおこさせてくれます。 雁は 庶民的な身近な鳥だからでしょうか, 文学作品や絵画の題材にとり あげられています。森欧外の「雁」, 水上勉の「雁の寺」, 月に雁の絵など。 これは私の一人よがりの発想かもしれませんが, 街道の両側に各戸思い思い の幅や高さに造られた雪除けの連なっている様子が雁が隊列を組んで, 渡っている様子に似ていることから雁木と名付けられたのではないかと 思います。 自宅にあった「日本の近代化遺産」岩波新書をみましたら 船着場の階段 のある桟橋をも雁木とよぶとあり, 瀬戸内海の地方では こちらが主流と なっていました。又大分県では普通の階段のことも雁木とよぶようです。 雁の行列の様にギザギザしたものの事をいうように思います。これが 鶴木ではしっくりしません。日本人の鳥にもつイメイジが良くでていると 思いました。 日常を離れて楽しく考えるお便りを有難うございました

【 Iさんから 】
「雪国の雁木」は知っていたのですが, 他にもいろいろな意味があるのですね。 ヤスリや階段状のものにも使われているようで, 興味深く拝見しました。 「雪国の雁木」の言葉の由来は分からなかった(?)ですが, 実物をじっくりと眺めていると, "雁の行列のようなギザギザ"が見えてくることはあるのでしょうか。

【 Mさんから 】
雁木の語源は何なのでしょう。「雁の列ような形をした木」を縮めたのでしょうか。 広辞苑の項目, 全部「木」に関係したものですね。 将棋の「雁木」は, 玉の囲い方に「雁木囲い」というのがあると聞いた記憶があります。 でも, どこかでこんなつくりの家を見た記憶がありますが, はっきり思い出せません。 宇ノ気だったか, 米沢だったか, 金木かも, それとも単なる雁木形状アーケードの 思い違いだったのか・・・。 諏訪の町で見た蔵(土蔵)にも「落とし込み」型の長い庇のようなものがついていたようにも。 手元の写真をめくったのですが, 証拠物が見つかりませんでした。 で, 高田の町は1月の風景なんですか? えっ, なんと雪がない!

雨の高田城 1月の高田の写真です。 雪だるまを見た その足で立ち寄りました。
雪はまったくありませんでした。 金沢より もっと雪がなかったようです。
当日は 雨でした。 冷たい雨に濡れながら 知らない町を歩くのは ミジメなものでした。
余談ですが, 写真は 高田城(三重櫓)ですが, あいにく月曜日休館 とのことで, 雨の中わざわざ行ったのに 中に入ることもできませんでした。ついてない時は こんなものです。

そのあと, 信越線を長野に向かったら, 妙高高原あたりの山の中は さすが大雪でした。



【 Mさんから 】
いつも新しい視点での話題ありがとうございます。 今回の雁木は, 私の田舎の町(新潟県白根市)にも家が一軒ずつ 異なる外観で, 雁木の高さも 形まちまちです。ついつい故郷の町並みを思い出してしまいました。 現在でも 私が住んでいた小さい頃のまま(40年前)の形でいまも残っていますし, 田植えが終わる 6月始めに行われる 大凧合戦(お祭り)の時には 雁木の方に向いて屋台 お店がたくさん並びます。メインの道路がお店の裏側にある感じです。(判りますかね?) 川をはさんで反対側の 味方村(あじかたむら)と 白根市 の両岸から凧を揚げて お互いに凧を絡ませて川の両岸で 引っ張り合い(綱引きみたいに)を楽しむものです。 もう300年近くの歴史があるそうですが, なかなか豪快なお祭りです。 一度ご覧になられてはどうでしょうか? 今年の白根大凧合戦は 平成14年の6月6日(木)〜10日(月)です また, 小さい時は, この時期採れるサクランボを三角錐の新聞紙の入れ物にいれた ものの中に買ってもらい, よく河原で食べながら見ていたものです。 (昔の新聞紙は包装紙や袋になっていました。) 私は, この季節になると, よくサクランボを見るたびに昔を思い出すものです。 これからの楽しい話題をお願いいたします。

実際に 雁木の町で暮らしていた方からのコメントは Mさんだけでした。
屋台が 雁木に向いて並んでいる風景が 目に見えるようです。

「凧揚げ」は 関心のあるテーマの一つです。春秋に 各地で凧揚げが行われますが, タイミングよく 訪問するのはなかなか大変なことです。一度 白根にも行ってみたいですね。

【 Tさんから 】
何時もながら小川さんの記事 楽しく読ませていただいてます。 もっと頻度が上がると良いのになあ, なんて 私は読むだけですので 勝手なことを言ってます。 それと本人も多少ズレを述べてましたが あと2ヶ月早いと良かったですね!っと これまた 勝手な事を言ってます。 でも もっともっと続けてください。                  楽しみにしてる読者より

いつもコメントを送っていただき ありがとうございます。
一言もありません。 せめて次回は 早めに出します。


【 D さんから 】  <追加 2005.3.17>
新潟県上越市に住んでいるものです。
地元高田の雁木が詳しく紹介かれていて, うれしく拝見しました。
「土地の有効利用 という意味では, 造り込み雁木の方が有利なはずなのに, 落とし込み雁木 の方が多いというのは なぜなのだろうか」と 書かれていらっしゃいましたが, これについて子供の頃聞いた話があるので, お知らせします。
高田は城下町ですが, お城と武士達が住む侍屋敷が少し離れていて, お城に出勤する武士達はいったん町屋の中を通っていかなければなりませんでした。
作り込み雁木だと,
  1. 2階から通行するお侍様を見下ろす形になる,
  2. 降雪時にお侍様が通ると, 2階に居る者の下に位置する (足でお侍様の頭を踏む形になる)恐れがある
ために恐れ多いとして 作り込みの形にしなかったとの事です。

【 I さんから 】  <追加 2005.3.17>
はじめまして。友人が雁木を知らないというので, よい説明資料がないものかと 探しているうちに「雁木」のページにたどり着いた者です。

今は東京で生活していますが, 私の実家は直江津(上越市と合併前 の旧直江津市)で落とし式雁木でした。 港町の直江津にも雁木はありまして, 今でも直江津駅前の安国寺通りには1キロほど残っています。

雁木のメリット, デメリットについて既にいくつか話題になっていますが, 日当たりが悪くなる, 火災保険料が高くなるといったことがあります。 どちらも構造上やむをえないのですが...
庇を伸ばせば, 日当たりが悪くなる。 家同士が密着しているので, 一度火災が起きると延焼が早いため, 間接の被災率が高い → 統計的にその地域の火災被災率が高くなる → 保険料が高くなる。 といった具合です。

地元民は雁木が珍しいものだという認識があまりないのが残念で す。高田にはまだまだ古い雁木は残っています。 小川呉服店(本町7), 高野醤油味噌店(北本町1)は特におすす めです。


【S さんから 】  <追加 2005.3.17>
高校時代 地理の教科書で学んで, 一度見学したいと思っています。
友人が最近青森県に行き, 小店(コミセ)というのを教えてくれましたが, それは雁木と一緒だと話していました。
近いうちにいぜひ訪問したいと思っています。

【T さんから 】  <追加 2005.4.2>
懐かしくページを拝見。ご当地出身の者です。
庇からの梯子ですが, お察しの通り屋根(ご当地では下屋と言っております)から 二階の屋根(大屋根)に上る為の設備で, 雪下ろしの際に使用されます。
高田の雁木は当初「造り込み雁木」だったそうです。 屋根雪を下ろす時 大屋根に上る手段として 大梯子で上るのは危険を伴うため, 改築された家は 徐々に落し込み式に改修され, 雪下ろし作業時は 二階の窓から出入する様に, これも時代の変遷と共に 雁木の構造も変わっていった様です。

今年は, 一般の家屋(雁木の家)の内部を公開する企画があるそうです。(2005年4月〜11月)
  http://www.city.joetsu.niigata.jp/contents/town-planning/house/index.html
興味が有れば訪れてみては如何でしょうか。



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