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【羅漢】へのコメント                   [2000.11.19]  A[2000.11.23]


『羅漢』は 写真が多かったこともあって, 説明を省略したページになってしまいました。
皆さんからのコメントも 全くもらえないのではないかと心配していましたが, いつもよりは 若干数は少なかったものの, 多くのコメントをいただきました。
その一部をご紹介します。

【 Kさんから 】

  今回は「羅漢」のお話をありがとうございました。いつも日本全国に
  またがるフットワークと意外な着眼点、ポイントの判る写真を適切に
  掲載されているのに感心して拝見しております。


【 Tさんから 】

  ラカンさんがそろったら まわそじゃないか に興味を持ちましたが、これは
  どういう意味なのか教えてください。


【 Yさんから 】

  『ラカンさんがそろったら まわそじゃないか・・・』は聞いたことがありますが
  自分が歌ったことがあったかは 今となっては分かりません。
  読んでいて さて「まわそじゃないか」って何?って思った次第。

『ラカンさん・・・』の歌については 私もはっきりしたことを覚えていないので, 間違ったことを書くかもしれませんが...
みんなで輪を作り, それぞれが 手に石ころや花などを持ち, 『・・・まわそじゃないか・・・』と歌いながら,順番に隣の人にまわしていく 子どもの遊びだったように思います。
子どもの遊びなので, 歌の文句にはあまり意味はないと思っていましたが, ルーツを調べていくと 案外深い意味があるのかもしれません。

自信がないので, もっと詳しいことを知っている, あるいは「それは違うよ」 という方がいましたら 是非 教えてください。


【 Oさんから 】

 相変わらずよいところに目をつけますね。

 羅漢について早速平凡社・世界大百科やマイペディアのデータベースに
 当たってみました。

   サンスクリットの arhat が阿羅漢の語源。
   十六羅漢は、仏法を護持することを誓った16人の仏弟子。
   五百羅漢は、仏の滅後に行われた第1回目の教典編纂に集まった仏弟子を
   指すといわれる。

   五百羅漢を崇拝することは中国で盛んになり、鎌倉時代に禅宗が輸入
   されると、日本でも羅漢に対する信仰が起こってきた。

   大分県本耶馬渓町に羅漢寺という曹洞宗の寺がある。1359年、
   中国僧が来山し、五百羅漢を刻して安置し、羅漢寺と改称した。

   東福寺の五百羅漢図は有名。

 などがわかりました。


【 Mさんから 】

  いつも、新しい話題をありがとうございます。

  今回の羅漢で、 羅漢とは、仏教の教えを究めた人のことのようですが、
  私がやっている少林寺拳法と言う武道の中にも 阿羅漢(仏の教えを学びながら、
  武道も合せて修行している人)とか 羅漢拳(主に袖や襟等の衣服を掴まれた
  時の技の総称)とかがあり、中国では、お寺を守る僧兵みたいな役割もあったと
  聞いています。
  でも、石仏や木で作れらた羅漢像は何のために作れたのでしょうかね?

  これからも、また、新しい話題を期待しております。


【 Oさんから 】

  『羅漢』を楽しく拝読させて頂きました。有り難うございます。

  羅漢は阿羅漢の略との事ですが、知りませんでした。私の知るアラカンは、
  鞍馬天狗で名を馳せた嵐寛寿郎ぐらいでした。

  「羅漢とは、後世では小乗の聖者のみを言う」とありますが、日本の仏教は
  大乗であり、何故、そんな日本に小乗の羅漢?と言うのが率直な疑問です。
  般若心経では、仏陀が高弟の舎利子(だったと思います)に小乗の教えを否定し、
  諫め、色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 を説いています。
  思想に拘らず、何でも取込んでしまう(何でもありの)日本土着の文化の故で
  しょうか。
  「五色不動」でも、不動明王が密教の中心仏にも関わらず、白だけが真言宗
  (東密)で、他の 4色が天台宗(台密)なのも、その故かと勝手に思い込んで
  います。

  思い込みと言えば、稚拙な工具で 500体もの羅漢を多大な日数を掛けて、石に
  刻む先人の思い入れに秋の夜長、想像を巡らす私です。



【 Uさんから 】

  五百羅漢の「五百」にも何か意味があるのでしょうね.

  大分の宇佐神宮の近くにも五百羅漢があります.
  寂しい寺で, 自動案内機があってコインを入れると, 30分だったと思いますが,
  解説が始まります.

  天気の良い土曜日の昼頃でしたが, ほとんど人はいませんでした. ある人が
  そこに行くことを勧めてくれたのですが, 未だにその勧めた真意が分からない
  ままです. だまされたのかもしれません.

本来の“五百羅漢”はそれなりの意味があったようですが, 石に彫られた五百羅漢の“五百”は, 単に「たくさん」という意味 なのではないでしょうか。

九州の地理を知らないので, "宇佐神宮の近く" というのがピンと来ませんが, 上にあげた Oさんのコメントにあるように, 大分県には 羅漢寺 という曹洞宗の寺があって そこに 五百羅漢がある そうです。広辞苑に載るほどだから かなり有名な由緒のある寺だと思います。
決してだましたわけではないと思いますが, でも Uさんの言うように 「寂しい寺」ということだったならば 別のお寺に行ってしまったのかも しれませんね。

ついでに言うと, 日本に初めて仏教が伝来した時に 中央で排斥されたため, 国東半島に逃れてきて ここに仏教が広まり, 五百羅漢とか 磨崖仏などが 残された と言われているそうです。

【 Uさんから 】

 しばらくアップされていなかったので, 心配していました。今後も楽しみにしています。

  加西市の五百羅漢は 地図にのっている程度しか知らなかったですが, 一度伺おうと思います。
  私の, 今後の顔がきっと有りますよね。


【 Oさんから 】

  琵琶湖の湖東三山を歩いた時に、やはり羅漢ではないかと思うものがあったのを
 覚えています。表情がとても豊かだったことを覚えています。

  (昨日、家で寺の名前とか調べようとしたのですが、見つかりませんでした。)
   今、コメントを書いていて、ビテオに撮ったというのを思い出したところです。(^^;)

【 Sさんから 】

  羅漢がどういう意味なのか分かり、興味深く読ませて戴きました。
  京都の愛宕念仏寺を『おたぎ』と読むんですね。驚きです。
  京都嵯峨へ行ったおりは立ち寄ってみます。


"おたぎ"念仏寺は, 電車の駅からは少し遠いですが 他の寺に 立ち寄りながら行けば あまり苦にはならないと思います。 寺の前までのバスもあります。
いろんな表情をした羅漢さんを見ていると なかなか楽しいです。

A (11-23 追加)

【 Iさんから 】

   巡礼の旅のようで お寺巡りがおおいですね。
  不思議な物で、お寺に行くと心が洗われます。

   「羅漢さん」と言う言葉は、馴染みがありません。
  普段、何の関連も無い生活を繰り返していますから こんな風に取り上げて見ると
  改めて心の深い襞に触れたようで 身が引き締まる思いがします。

   従妹の母、つまり叔母が亡くなった際、従妹が叔母の菩提を弔うと言うことで、
  石を購入して石工に教わりながら石仏を一生懸命に刻んで、お寺に奉納した事が
  あります。
  親の顔云々、の章を読んだ時、様々な顔いわゆる身近な人を偲んで彫った像が、
  羅漢さんだったのではないかと思いました。

   そのお寺は、700年の歴史のある志築城本堂家の菩提寺です。
  今の住職になってから、荒れ果てていた境内を整備されて20年くらいになります。
  その間に石仏は増え続け、数え切れぬ程になりました。
  行く度に、ユニークな石仏にお目にかかります。
  いずれ喜多院の羅漢さんのように、風化していくのでしょう。
  とゆうことで、今年のお盆に撮りました石仏の写真を、送ります。


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