五百羅漢

[96/11/15]


加西の羅漢寺 先日 「羅漢寺」というところに行ってきた。
兵庫県加西市北条町というところにある。 通称 「五百羅漢」と呼ばれている。
北条という町は, JR加古川線に乗って 粟生(あお)という駅で降り, ここで 北条鉄道のレールバスというのに乗って30分弱。 自宅を出て 1時間半程かかった。
なにしろ 加古川線も北条鉄道も, 日中は1時間に1本しか通っていないから 時刻表をじっくり調べてから出かけないと とんでもなく時間がかかるおそれがある。

このお寺は 西側が中学校, 南側が小学校, 東側が幼稚園, それに北側が高速道路 (中国自動車道) に囲まれていて, まるで街中のお寺の様相だが, ほんの何年か前までは ずっと鄙びた雰囲気だったようだ。

なんとなく 広い庭にたくさんの羅漢さんが点在しているようなイメージでいたのだが, 予想に反して かなり小さいお寺。
その境内の奥の一画に びっくりするくらいたくさんの羅漢さんが, 全員こちらを向いて立っていた。
「五百羅漢」と言うが, 実際にも 430体程あるのだそうな。 大きいもの小さいもの, ひとつひとつ見ていくと みな違う顔をしている。それぞれに特徴があって見飽きない。

時代を経ているせいか いたんでいるものが多い。傾いてしまって 隣と寄り添って いるように見えるもの, 明らかに破壊されたものを補修して復元してあるもの, 中には 首が折れて下に落下しているものもあるし, 頭部に縦に割れ目が入って 手を触れるとそのまま割れ落ちてしまいそうなものもある。顔面が欠けてしまい 目鼻がなくなってしまっているものも少なくない。

しかし これらの羅漢さんたちは, どれも作りが雑というか稚拙である。
顔が平板で 無理やり目鼻をつけただけ という感じのものが多い。 よその寺で見た羅漢さんはもっと丁寧に作られ 顔の表情も豊かだったような 気がする。

素人が作ったのではないにしても, 少なくとも 専門の仏師が時間をかけて彫った ものではないように思われる。一体 誰が いつ どういう目的で これだけの数を つくったのだろうか。
全く記録が残っていないため,作られた年代もはっきりはしないらしいが,解説に よると 15〜16世紀ごろ(足利尊氏と後醍醐天皇の騒ぎ ないし 秀吉の三木城攻めの ころ) に作られたのではないか, とされているようだ。

結構観光客が多い。混雑するというほどでもなかったが,途切れることなく次々に 出入りしていた。
暖かないい休日だった。
羅漢寺の羅漢 多聞寺の羅漢
羅漢寺の羅漢さんはあまり表情がない

(この他にたくさんの羅漢さんの写真)
多聞寺(神戸市北区)で見た羅漢さん
表情が豊か